徳島の映画館を訪ねるなかで、何度か話題に登場してきた
さきほど紹介した広石鉱山とは同じ経営で、広石の鉱石は索道で東山へ運ばれ、東山からさらに川島駅へ運ばれていたという。閉山したのは1942年。
1/25,000地形図を見ると、地図記号「荒地」が山中に見つかる。それはズリ山の跡であり、いまはすっかり山に還ってしまっている鉱山の名残りを示すものだ。
索道がどこを通っていたかはよくわからない。山中で薮漕ぎすれば基礎を発見できるかもしれない。
地図を見て気付くことは、広石→東山の間には四国八十八ヶ所霊場の遍路道が通っていることだ。この尾根道は完全な山道で徒歩でしか通れないルートなのだが、そのどこかで鉱石を載せた搬器がお遍路さんの頭上を通過していたはずだ。
またその遍路道に近い
東山鉱山は1,000人近い労働者が暮らした。周辺の村々がランプ生活だったときに東山鉱山には電気があり、夜も明るくまるで不夜城のような所だった。商店や映画館、診療所もあったそうだ。子どもが高熱を出したとき、樋山地から子どもをおぶって夜の山道を越えて東山鉱山の診療所に連れていったこともあったという。それほどの近代的な町が山の中にあったのだ。
その鉱山の跡を訪ねてみた。
鉱山跡までは狭い道があり、ワダチの跡がしっかり付いている。
というのも、鉱山跡に鉱泉の採水場があり、そのメンテナンスのため、道が確保されているようなのだ。
これが美郷ヘルスランドという日帰り温泉の源泉だ。
けっこうな量の水が湧き出している。もしかすると坑道の排水なのかもしれない。
源泉から先は車は入れないが、杉林や竹林の中に徒歩で歩ける道がある。
明渠の跡があった。
明らかに人々が生活していた痕跡があるが、全体的に杉が植林されて薄暗く、見通しも悪く、どこに映画館があったかなどまったく見当もつかない。
つぶれた建物も所々にあった。
斜面に穴が開いている。
坑道や換気坑ではなく、イモ蔵か石風呂ではないか。
石積みの壁。
猪垣かもしれない。
炊事場の跡だろうか。
これは石風呂で間違いないと思う。
少し明るいところに出た。
ズリ山だ。登ってみよう。
ズリ山の石。
ほぼ結晶片岩だ。
よく掘ったものだなぁ。
ズリ山を見ていると、人間の営みのエネルギーに感動を覚える。
ここから見えるあの尾根を越えて、川島駅まで索道が続いていたのだ。
ズリ山の頂上にワイヤー跡のある木が立っていた。
索道の遺構と思われる。
川島駅まで鉱石を運んでいた索道はたぶん鉄塔だったと思うけれど、ズリ山を築くのに使った索道は、林業索道みたいな仮設の木造だったのではないか。
ここから見おろす一面の森に、かつては選鉱場や鉱山住宅、映画館などのたくさんの建物が並んでいたはずだ。
数十年前、確かに人はこの山の中に町を作ったのだ。
そしていま人は山から平地へ押し戻されている。
寄せて返す波のように、100年、1000年後に人がまたこの森を拓き住み着くことがあるだろうか。
(2002年10月12日訪問)