赤城神社の北西に朝市会場がありそこに大蛇みこしなるものが展示されていた。赤城の神である竜神をイメージした大みこしだという。
よく知られる伝説は次のような物語。
赤城の神と二荒山の神が中禅寺湖の領有を巡って戦ったことがある。赤城の神は水を欲していて、まず2すくいの水を強奪してそれが赤城山頂の大沼、小沼になった。
二荒山の神は沼の水を取り戻すため、大蛇に変化して赤城側に攻め込んだ。
赤城の神はムカデに変化して応戦した。戦いは赤城側が優勢で、日光側に攻め込んでの戦いになった。その戦場となったのがいまの戦場ヶ原だ。
二荒山側は奥州から弓の名手、猿丸大夫を呼び寄せて加勢させた。猿丸大夫の放った矢が大ムカデの目に刺さり、形勢は逆転し赤城側は敗走することになった。
赤城の大ムカデが目から矢を抜き傷をいやしたのが老神温泉だという。老神の名前は「追い神」から来ているというもの。
ただしこの地方に伝わる物語では、赤城の神が大蛇で、二荒山の神がムカデということになっている。また、老神の名前は、ここで赤城の神が二荒山の神を追い返したことに由来するという。
地元びいきで、赤城の神が敗走した物語が変質したものだとは思うが、赤城側が大蛇で日光側がムカデとしたのはいかがなものか・・・。
だって、ムカデのほうが絵的にもカッコいいじゃん。武田信玄のムカデ衆の旗印で知られるように、ムカデは決して退かない生き物として、武勇のシンボルといわれているからだ。
みこしは大小があり、普段の例祭で使われるのは小のほう。大は12年に一度だけ使うという。
大きいほうのみこしは108mあり、最大の大蛇みこしとして『ギネスブック』に認定されているという。
ただ、材質がビニール風船みたいだし、なんだかギネスブックのために作ったの? という感じがどうしてもいなめない。12年に1回というけれど材質的に12年もつのだろうか。
竜神のみこしとしては、私は以前川越に住んでいたときに鶴ケ島町の脚折雨乞というものを見に行ったことがあるけれど、どうしてもそういう伝統的なみこしと比較してしまうのだ。
そもそも老神の大蛇みこし、いつごろから始まったものなのだろう。ネットを軽く見ただけだと、いっさいその情報がない。
広場の片隅には監視塔みたいなものがあった。
盆踊りのやぐらか?
高崎在住のNさんから、このみこしについての参考になる話を聞いた。
昔、老神では藁で作った蛇を引きずり、「赤城様のお助けー!」と言いながら棒で打つ行事があったそうです。いつの頃か(これがほんとに分からないらしい)商工会だか青年会が大蛇神輿を作り町おこしを始めたと言ってました。多分昭和50年位かなぁと。始めの頃はご年配の方は「そりゃおかしい」と言っていたのが、続いていくうちに定着しちゃったらしいです。
(2021年08月02日訪問)