武蔵村山から青梅街道を西進すると、瑞穂町の箱根ケ崎という字に入る。この村はかつて青梅街道(都道5号線)と日光街道(埼玉県道/都道219号線)の交差点として発達した宿場町だった。
日光街道は現在の横田基地ができたため寸断され、現在の16号バイパスに付け替わって交通の流れが変わり、往時の様子とは違ってしまっている。
その町の一角のY字路に辻時計がある。
左側の黄色いカラー舗装の道路は旧青梅街道で、街道は町内でクランク状に折れ曲がっていた。それでは不便なので、昭和初期に街道を直線化し右側の新道が造られた。
新道建設によって細長い三角形の地割りが生じ、その鋭角の場所に記念の時計台が造られたという。
初代の時計塔が建てられたのは昭和6年(1931)で、木造モルタルの構造だった。昭和30年代には老朽化し取り壊されたのを、平成15年(2003)に復元したものだという。やっぱり辻時計って強烈なノスタルジーをいだかせる物件で、地域住民も忘れられなかったのだろう。
おそらくだが、形状は創建当時のものを再現していると思われる。電灯が付いているのが最高。いつか夜にまた見に来たい。
正面の下部に黒いパネルがはめられていて、町歌の歌詞が刻まれている。
このパネルの場所には元々は黒板がついていて、青年団の掲示板として使われていたという。
背面から見た様子。
時計台の基礎のあたりに切り株が見える。Googleストリートビューを見ると2020年ごろまでここにはケヤキ(?)の樹があり、辻時計は緑に包まれるように立っていた。道路際なので数年ごとに剪定が必要になるため、伐採されてしまったのだろう。
以前の様子のほうが良かったな。
定礎には時計台の歴史が詳細に書かれている。
(2022年07月13日訪問)