岩槻人形博物館から県道をはさんだ反対側に大龍寺というお寺がある。きょうは
このお寺には裃雛の考案者といわれる、橋本重兵衛という人形師の墓があるからだ。
参道入口には六地蔵堂。お堂自体が大理石でできている。地蔵はレリーフ状でお堂と一体化している。
お寺の境内は県道から100mくらい引っ込んでいて、お寺の敷地自体も街道筋によくある短冊形の地割りだ。
山門は四脚門。
貫には龍の透かし彫りが巻き付いている。
山門を入って右側には大龍寺会館という建物がある。信徒休憩所といえばいいかも。
納骨などの法事の際、檀家が一時的に休憩したりするのだろう。
その横にもなにか墓地の利用に関係しそうな建物がある。
本堂は入母屋妻入り。
四脚門からの入母屋妻入りの本堂は、何となくだが浄土真宗に多いような気がするが、この大龍寺は曹洞宗。
本堂の右側には中門の薬医門がある。
薬医門を入った先には玄関がある。
よくあるお寺の伽藍配置では、本堂の右に玄関、玄関の右に庫裏というように3つの建物が横並びになるが、ここでは庫裏は玄関の背後にあって、参拝者からはまったく見えない位置に引っ込んでいる。
街道筋の短冊状の地割りのせいで、横に建物を並べられないのだろう。
境内の右側には元幼稚園舎かと思われる建物がある。現在は使われていない模様。
墓地の方へ行ってみよう。
本堂の左側から裏手の墓地に回れる。
仏花などを捨てるごみ箱が置かれたお堂があった。
これは元々は納骨などで使い終わった野道具や、塔婆などを一時的に入れておく場所ではないかと思われる。地蔵菩薩が安置されているので、ただのゴミ置き場ではないのだろう。
野辺堂の一種ともいえるかも知れないが、初めて見た種類の建物のような気もする。
その隣りには鎮守社と地蔵堂。
地蔵堂の横には永代供養の納骨堂がある。
利用価格や条件がはっきり書かれていて、現代人に合っているかも。
さて、この墓地には岩槻人形を中興し、裃雛を考案したとも言われる橋本重兵衛の墓地があるという。
通常、こうした歴史上の人物の墓地がある場合、墓地に入るあたりに案内があるのだが、それが見当たらない。自力で捜せってことか。
本堂の背後には大きな椎の木。
本堂の背後には無縁仏塚。
舟型や額縁付きの比較的古い無縁仏を集めたもの。
墓地の一番奥には大きな阿弥陀如来がある。
集団墓地っぽい構成になっているが、前に並んでいるのは個人宅の墓で、それぞれ苗字が違う。何軒かで共同で建てたのか。
墓地内をけっこう探し回って、やっと橋本家の墓所を発見した。
五輪塔から手前側がずべて橋本家の墓石。
橋本重兵衛の墓はたぶんこの左の背の高い墓石。
案内板などは一切なかった。
裃雛の情報が手に入るように、手を合わせて祈願しておいた。
(2023年02月26日訪問)