市内に時鐘が残っているというので見ていくことにした。
時鐘とは時刻を知らせるためにならされる鐘のことだ。基本的な仕組みはお寺の鐘楼と同じものだが、お寺の境内ではない場所に独立して建てられているものを特に時鐘、または、時の鐘という。
このあとも裃雛の情報収集が続く予定なので、あまり寄り道もしていられないのだが、駐車場までの道をちょっと回り道している。
きょうは市内で「まちかど雛めぐり」というイベントが開催されていて、観光客が多いため岩槻人形博物館に駐車できず、博物館から離れた臨時駐車場に置かされたのだ。
時の鐘が見えた。
ん? 人の家の庭にあるのか?
一応、庭ではなく、一般人が近くまで行ける場所にあった。
市の土地なのか、私有地なのかよくわからない引っ込んだ場所にある。
岩槻は城下町で、町並みはL字形をしている。時の鐘の場所はその屈曲部分にあたる。
現代のように自動車が走っていない時代には、これなら町中に音が聞こえただろう。
最初の時の鐘が作られたのは江戸前期(1971)、その後、江戸中期(1720)に改鋳されたのが現在の鐘だという。
明治時代初期に描かれた絵図を見ると、このあたりは町外れの寂しい場所のように見える。
江戸時代には1日12回撞いていたという。江戸時代の
鐘は袴腰鐘楼タイプで、2mほどの基壇の上に建っている。
案内板によれば建物は幕末のものということだが、見たところそこまでの年代を感じさせる部材は外観には見当たらない。
柱梁は当時のものかもしれないけれど、外から見える材料はせいぜい20年くらいしか建っていない感じ。
基壇までは自由に登ることができる。
ただし鐘楼の中には入れない。
現在は、6時、12時、18時の3回鳴らされているという。
石段は西側にもあり、個人の家の庭に通じている。
やっぱりこの家の敷地なのか。この家が鐘を撞く担当だったのだろうか。
敷地には大きなイチョウの樹がある。
鐘の東側には不思議な2階屋がある。
たぶんだけど、この建物には1階から2階へ上がる階段がなく、となりの建物からのみ2階へ行くことができるという構造だと思う。
時の鐘とは関係ないけれど、ちょっと気になったので記録しておこう。こういう2階に住んでいるというような夢を見ることがある。
(2023年02月26日訪問)