きょうは滑川町の図書館で調べごとがあって出向いてきたのだが、結局探していた情報は得られず、むなしく帰路に着いた。
その図書館からから県道47号線を少し北上したところの道ばたに富士塚があるのは以前から気付いていた。ここは交通量もけっこうあり、なかなか駐車しにくい場所でなので普段なら素通りしてしまう立地なのだが、滑川まで来て何も得られず帰るのも勿体ないからこの富士塚に寄って行くことにした。
富士塚に隣接するような場所には駐車スペースが見つからなかったので、けっこう遠い場所に置いて富士塚まで歩いた。
古墳再利用の富士塚で、高さは目測で6mほど。名前は山王塚古墳というようだ。
古墳再利用の富士塚にありがちなのだが、登山方法が単純で、丁石や富士山の名所を再現するようなミニチュアのギミックなどもなく大味。
山麓にこの富士塚を造ったいわれが書かれていた。
ここ福田郷に嘉永3年(1850)生まれの平八という者がいた。彼は長じて冨士信仰の行者となってから平行と名を改めた。彼は生涯で34回富士山に登り大先達となり、信者は数百人もいたが、昭和4年(1929)に不帰の人となった。その彼を顕彰して山王塚古墳に23柱の神々を祀り浅間神社を建てたのだという。
冨士信仰の行者は33回の登頂がひとつの目標とされ、畠山の浅間神社にも同様の碑が見られる。
山頂には拝殿。
内部には木製の祠が納められていた。
この富士塚の特徴は、墳丘の法面にたくさんの文字碑が設置されていることだ。
小御嶽
小御嶽岳山、開祖食行。
高祖角行霊神、食行身禄霊神。
富士浅間大神。
ほかにも墳丘を取り巻くようにたくさんの石塔がある。参詣路があるわけではないので、すべては見なかったが。
これが由緒に書かれていた、23柱の神ということなのだろうか。
(2026年05月02日訪問)
