多福寺の駐車場から100mくらい南へ歩くと広場があり、そこに立派なお堂がある。
これを木ノ宮地蔵という。
この一画は多福寺の土地なので、現在は多福寺の管理になっているが、伽藍配置的にも雰囲気的にも別の寺だったのではないかと思われる。
建物は方3間の宝形造。基壇があり、濡れ縁に高欄を巡らしている。
屋根は二重吹寄垂木で総ケヤキ造り。全体的によい材木でよい仕事がしてあるという感じ。
内部は床があるが、本堂形式ではなく、仏殿に近い雰囲気。奥に厨子が見えるが、この中には地蔵菩薩は入っていないといわれている。
この地蔵堂にはおかしな伝説が伝わっている。
享保のころこのこのあたりに追い剥ぎが出没した。旅人を身ぐるみ剥いだり、近隣の村で盗みを働いたり、婦女子は犯すといった始末におえない無法者だった。
その追い剥ぎは地蔵堂のあたりの森から現れるといわれていた。村人は地蔵堂の地蔵が化けて悪さをするのだと噂し、ついに地蔵を鎖で縛り穴を掘って埋めてしまった。そうすると、追い剥ぎの被害はぴたりと止まったという。
う~~ん、こういう伝説、他所じゃあまり聞いたことないのだよね。山門の彫物とか絵馬に描かれた動物が悪さをするというのはあるけど、本尊が婦女子を犯すなんてエグすぎるでしょ。
実際は犯人を捕らえてみたら、村の有力者のどら息子だったとかで都合が悪くなって、地蔵様に罪をなすりつけたっていうようなことなんだろう。
本尊を埋めたのは、地蔵堂の裏手の塚だという。これがそうか?
境内は広く、四阿があったりして、公園のような感じになっている。
学生時代に来たときは、もっと薄暗くて寂しい場所だったような記憶があるけれど、そのころは世界が暗く見えてたのかな。
町内の山車蔵がある。もしかして神社でもあったのか。
境内には多福寺の客殿というか、斎場がある。まだ新しい。
本堂の裏側にあった奥の院。
内部には石造の地蔵菩薩が祀られていた。
この地蔵菩薩は、このあたりが新田開発される以前からあったという。
ほかにも小さな地蔵堂があった。
掃除中だったので中は確認しなかったけれど、地蔵堂だと思う。
(2022年04月12日訪問)