キリシタン洞窟礼拝堂

キリシタンの礼拝堂だったという洞窟。

(大分県竹田市竹田)

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武家屋敷街から小さな谷に入っていく。

この奥に「キリシタン洞窟礼拝堂」という史跡がある。

ちょっと気になる名前の史跡で、これが竹田市を訪れた理由のひとつでもある。

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観光地になっているので場所はすぐわかった。

人家の裏のような場所にある。

立地はもともと武家屋敷の敷地内だったというから、礼拝堂だったとしたら誰でも入れる場所ではなく、個人的な施設だったのではないだろうか。

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細道を入ると、山の斜面に格子戸のついた洞窟の入口が見えてくる。

斜面の下部にも小さな穴が開口しているが、これは横井戸のようだ。奥はよく見えないが、深さは5mくらいしかなさそう。

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この地にキリシタンがいたのは戦国時代で、岡城を整備した武将、志賀親次がキリシタンとして知られている。彼は禁教令が出た後も教えを捨てず、宣教師を匿ったりしたようだ。

禁教令が出る以前はこんな薄暗い場所で礼拝する必要はなかったろうから、もしこの洞窟が話通りに礼拝堂だとしたら、禁教令が出て以後、志賀氏が転封になるまでの時代に作られたものかもしれない。

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洞窟開口部は仏教の花頭窓風になっているが、全体的にはアーチが使われた異国情緒にあふれたデザイン。

入口には鍵がかけられていて中には入れない。

下段の左右に小さな穴があるのは、かつて洞内に木の床があったときの湿気抜きの換気口か。

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洞窟は締まった凝灰岩をノミで掘り抜いてあって、精緻な感じ。奥壁は漆喰で仕上げられていて、中央に小さな長方形の穴がある。ここが祭壇として使われたのだろう。

隠れキリシタンの洞窟っていうと、どうしても諸星大二郎の『生命の木』を想起してしまうよね。

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ヨーロッパのキリスト教寺院には地下にカタコンベと呼ばれる墓所や地下聖堂といった施設が造られることがあるが、ここは墓所ではなさそう。

内部は四畳半くらいの広さなので、礼拝堂として使用した場合、入れてもせいぜい6人くらいだったろうと思う。

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礼拝堂の右側にも大きな洞窟がある。

ここでも礼拝ができたのではないか。

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あたりはどこにでもありそうな風景の山里の風景だが、とても印象に残る史跡だった。

(2011年08月07日訪問)