音無井路十二号円形分水

音無井路の水の分配のために造られた。

(大分県竹田市九重野)

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白水ノ滝という滝を目指して移動中、経路に円筒分水があるというので立ち寄っていく。

名前は「音無井路十二号円形分水」。「井路」とは大分の言葉で用水路のこと。「円形分水」は一般的には「円筒分水」と呼ばれることのほうが多い。

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「円筒分水」とは円筒形の水槽の下部から注水し、360度に水をオーバーフローさせ、水を受ける枡の角度に応じて適切に分水するという設備だ。たとえば、枡を120度単位に区切っておけば、水はほぼ正確に3等分されるという仕組み。

名前は「十二号」だが、この用水路に円筒分水が1番から12番まであるという意味ではない。地下水路が地表に出て分水できる箇所の12番目というような意味だ。

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音無井路は、この場所からひと山越えた大野川から取水し、緒方川の流域の棚田に配水する農業用水。

案内によれば、音無井路の原形は元禄時代に造られたが災害により頓挫、その後、江戸時代に数度にわたり工事を行ったがすべて失敗した。明治16年から現在の工事に着工し、明治31年(1986)に完成をみている。その後、昭和9年(1943)にこの場所に円筒分水が設置された。

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これが大野川から取水した地下水路の出口。取水場所は約2kmほど離れた熊本県側の堰。山を地下水路で通り抜けている。

大野川は上流が宮崎県で、熊本、大分を流れる流域面積の広い川であり水量が豊富。白水ダムも大野川に作られている。

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水は3等分されているが、そのうち2本の水路はすぐに暗渠になっていて、見える水路は1本だけ。早い話が、音無井路はほとんどが暗渠のトンネルで造られた高度な土木事業なのだ。

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案内板では下流での水争いがあり円筒分水によって解決された、というようなことだったが、この用水路の設計や技術水準からして、最初から水争いが生じるようなずさんな配水はしていなかったろうと思われる。

ただ、このような形で目に見えるようにしなければ、農民たちが納得しなかったのだろう。

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これが暗渠の窓。案内板によれば「ズリ出しの跡」というから、工事のための出入り口であったり、鉱内の換気をするための穴なのだろう。

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円筒分水の前にあった碑。

彫られているのは竹田の藩士須賀勘助。彼は元禄時代に音無井路の原形を開削する事業を行ったが失敗し、責任をとって切腹したという伝説がある。

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分水の前の田んぼには「緑米」という看板が立てられていた。緑色のもち米の品種を栽培している田んぼなのだろう。

(2012年03月24日訪問)