野仲の石風呂

辻河原の石風呂を真似て明治時代に造られたという。

(大分県豊後大野市緒方町鮒川)

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野仲の石風呂も、1周目で見つけることができずに、2周目でやっと発見できた石風呂だった。

市道には看板が出ていないので、かなり見つけにくい。

目印は、宮迫石仏群へ向かう市道で、山ぎわに写真の亀の甲羅みたいな岩盤の路頭がある農道を入る。

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農道を少し上ると文化財の柱が見えてくる。

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室は道ばたのわかりやすい場所にぽっかりと開口している。

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薮漕ぎなどしなくても気軽に中を覗くことができるのがありがたい。

明治時代に中村実吾という人が辻河原の石風呂を参考にして造ったものだという。つまり2層式の構造で、下部に火の焚口がある。ちょっとわかりにくいけれど、写真で洞口のしたに少しくぼみになっている場所があるがそこが焚口だ。

4人が利用できたという。

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内部には魚の骨型の火道というかダクトがはっきりと確認できる。

辻河原の石風呂ではこの上に石板の床が載せてあるので火道が見えなくなっているが、石板の下はこうなっているわけだ。

この石風呂は地元では「野仲塩石(えんせき)」と呼んでいる。塩石はこの地方で石風呂のことである。

ここの地所は「大字鮒川字野仲小字米納(よねー)」という住所で、元は「野中」と書いていたが竹田藩主に中川家の「中」の字を使うことをはばかって「野仲」の文字に変更したのだという。

(2012年03月25日訪問)