徳島を東西に走る交通の背骨は国道192号線・伊予街道だ。この街道には並行する裏道や旧道があるので、私は気分によって色々な道を使い分けて東西を移動する。
きょう通行しているのは、国道192号の旧道、県道240号線だ。
その旧道で、日帰り温泉にして善根宿でもある「鴨の湯」から500mほど東へいったところにコンビニエンスストアがある。
このコンビニエンスストアの横に、県道から古い石橋が見える。
興味深いものなので、近くに車を停めて歩いてみることにした。
掛かっている川は飯尾川。吉野川右岸の大きな支流で流域面積も広く、たびたび氾濫してきた川である。
近くの人家はほとんどが自然堤防上にあるか、または主屋を土盛りしていて、少し氾濫したくらいではまったく被害が生じないように生活している。
飯尾川から取水している麻名用水を渡る。
用水に降りる石段があった。かつて農具や野菜などを洗った時代があったのだろう。
石橋へと通じる路地。
この細道はもしかしたら、県道240号の旧道なのかもしれない。
橋のたもとには、屋敷神の板碑がある。
コンビニエンスストアは、井出酒店という名前なので、そのお店の屋敷神だ。
橋を下流側から見たところ。橋脚、橋台、橋桁すべて石製の石橋だ。
橋は河道内に造られているので、これだとちょっとした増水でも水が乗るだろう。いわゆる沈下橋である。
後ろに見えるのは県道の抜水橋。
橋桁は板状の緑色片岩で出来ていて、現在はその上にコンクリが打ってある。
人通りが少ないためか、橋の上はカモの休憩所になっているようだ。
上流側から見たところ。
橋脚は上流側がくさび形になっている。増水時にゴミが引っかからないようにするためだろう。
四万十川などに多く見られる沈下橋は鉄筋コンクリート製で、舟運がなくなってから発生したものだから、歴史的には昭和初期よりさかのぼることはない。
だがもしかしたら、石橋の沈下橋はそれよりも古い歴史を持つものがあるかもしれない。
橋の近くにあった地蔵堂。
同じく、橋の近くにあった庚申塔。
(2003年03月02日訪問)