川田川の最上流部にある字、西畠。
まだここには何軒かの家が残っている。その一軒は高い石垣の上に築かれた古民家である。資料によれば、この家は元々は藍問屋の別荘だった。明治4年の棟札があるという。
道路からは長い石段を登って敷地に入るようになっている。
この家を別荘にしていた藍問屋ってどんな人だったのだろう。藍は吉野川平野の氾濫原の作物だから、そうした平地に暮らす金持ちは町の喧騒を離れて山を眺めて過ごしたかったのかもしれない。山川町諏訪地区には大山林地主がいたというから、その辺りの分限者がここに別荘を構えたのではないかなどと想像してしまった。
石段を登ったところに長屋門があり、資料によれば門の右側の建屋は納屋、左側の建屋は牛舎だったようだ。
別荘と言っても数寄屋ではなく左勝手食い違い四間取りの典型的な農家だ。
土間の上には下男下女が暮らす中二階の部屋もあるそうで機能的にも農作業を想定した建物だ。
この家は元々は地域の農家だったのを藍問屋が別荘として買い上たものなのではないだろうか。
いまも人が住んでいるようだが、留守をしていたようで詳細はわからなかった。
建物は北東斜面にあり、玄関も北東を向いている。この場所からは対岸の山の斜面の自然林が一望でき、確かに別荘としてはよいロケーションといえる。
この家を見て、山家って寂しいけれど静かでいいものだなとつくづく思った。私も徳島で暮らすのであれば、こんな山家を買って住みたいと、このとき初めて考えた。
結局それはかなわなかったけれど。
(2002年11月10日訪問)