
専修寺の敷地の南東の角は現在「高田幼稚園」になっている。
でもそのたたずまいはまるで塔頭寺院・・・。
山門は薬医門。

薬医門を入ると中は幼稚園の庭になっている。
その奥に本堂のような建物が見える。これは幼稚園の施設ではなく、専修寺の大講堂とされている。法話などの特別なイベントで使用されるようだ。

大講堂を使用するとき、幼稚園の敷地を通らずに建物に入れるように北側に入口が増設されている。
なんでこんな不思議建物になってしまったのか少し調べてみた。

現在、高田幼稚園がある敷地には、明治初期に高田学苑という学校が創設された。
高田学苑の古図を見ると校門はちゃんと学校の体をしていて、お寺ふうではない。
学校は明治30年(1897)に火災で焼失したのをきっかけに専修寺の北側の敷地に移転した。幼稚園ができたのが昭和3年(1928)なので、31年間の空白がある。

31年の空白期間に描かれたと考えられる境内図。学校の跡地には大講堂という建物が建った。ただし高田学苑があったときと同じように塀で囲まれ、この一画は専修寺から分離されたまま門も別になっている。
このとき塔頭のような景観が生まれ、幼稚園になった現在も残っているのだ。

高田幼稚園の北側には現在「婦人会館」という建物があるが、これは昭和3年に建てられた初期の園舎の再利用と思われる。
(2024年12月13日訪問)