蓮蔵院

専修寺の塔頭のひとつ。太鼓門の東側にある。

(三重県津市一身田町)

ここからは専修寺(せんじゅじ)塔頭(たっちゅう)を見ていく。

「塔頭」とは、大きなお寺の廻りに付属する小さなお寺のことである。当サイトではこれまでも特に断りなく「塔頭」という言葉を使ってきたが、ここで改めて解説したい。

塔頭はもともとは中国の禅寺で発生したもので、大寺の住職が隠居して寺を出たあと、寺の周囲に小庵を建てて居住したのが始まりといわれる。それが日本の禅宗にも取り入れられ、それがさらに他の宗派にも広がって一般化したものだとされている。

写真

これは専修寺の東側、太鼓門の前にある塔頭のひとつ、蓮蔵院。

現在は還俗して寺としての機能はないようだが、門は薬医門だし、外観として寺のように見える。

ここがもと塔頭だったことは間違いなく、『一身田御略繪圖』で寺の名前を確認できる。絵図を見ると専修寺の周囲には約20ヶ寺の塔頭があったようだ。

この蓮蔵院については、それ以上何も言うこともないのだが、ここで塔頭についての個人的な記憶を書いてみたい。

私がお寺を巡りをするようになったのは中学生のころなのだが、そのころ私は群馬県に住んでいた。塔頭という言葉を知ったとき、京都の大徳寺のまわりにある有名な塔頭街をイメージして、「塔頭って京都や鎌倉の大寺院にあるアレだよね、群馬みたいな田舎にはまったく関係ないヤツ」くらいに認識していた。

そんな私が初めて現物の塔頭を認識したのが専修寺(せんじゅじ)だった。専修寺といってもこの一身田の専修寺ではない。栃木県にある専修寺だ。

実は専修寺はもともとは栃木県真岡市高田に建立された寺で、それが三重県に移転して総本山となったという歴史がある。宗派の「高田派」は真岡市高田の地名が由来だ。一身田の専修寺と区別するため、栃木県の専修寺は「本寺(ほんじ)専修寺」と呼ばれる。

私は本寺専修寺で、初めて地方寺院にも塔頭ってあるんだと知り、驚きとともに言い知れぬ感動をおぼえた。初めて塔頭を見た場所を覚えているくらい鮮烈な出来事だったのだ。デジカメもパソコンもない時代にレポート用紙を持参して初めて伽藍配置図を描いたのも本寺専修寺だった。「塔頭が2ヶ寺以上あるお寺は名刹とする」というマイ基準もこのときに生まれた。本寺専修寺の塔頭が2ヶ寺だからである。

私にとって「専修寺」という名前は塔頭と結びついて深く記憶に残っている名前なのだ。

(2024年12月13日訪問)