
三日月沼から上流方向へ古い道をたどってみる。
後背湿地の田んぼの中の細道だがここはかつて都幾川の右岸の主要道だった。

明治14年の地図に、現在の県道を黄色、高速道路を緑で描き加えてみた。
現在の県道は段丘崖の裾を通っていて都幾川が氾濫しても道路が冠水するリスクは少ない。明治時代にも段丘崖の裾には細い道があるようだが、なぜか主要道は後背湿地を通っていたのだ。そしてさらに驚くことに、その後背湿地の低地(微高地でもない!)に集落が描かれている。
ここは悪戸という字で頻繁に水害に見舞われる場所だったという。現在は一面の水田だが、昭和30年代くらいまで人家があったらしい。

村の跡には石仏だけが残されている。

常夜灯の棹には「雨降山」の文字がある。
神奈川県の大山にある大山寺か?

九頭龍大神と書かれた文字碑。
荒川水系では堤防を守る神様というような位置づけ。

他に、地蔵尊、阿弥陀如来、馬頭観音の石仏が並んでいる。

なぜか陸軍兵士の墓がひとつだけある。
この村から出征した物の墓なのだろうか。

墓地の裏側は素掘りの用水路。

都幾川のほうへ行ってみる。

堤防は低い。江戸時代からの堤防かもしれない。

堤防の法面にぽつんと馬頭観音がある。
農耕馬の墓かな。

この場所からは堤防を乗り越える道があって堤外地への道がある。
かつては堤外地に桑畑などがあったようだが、現在は完全に荒れ地。

堤外地にはハナダイコンが一面に咲いていた。
放置された農地は河畔林に変わりつつある。ただこの河畔林という生態系も、耕作放棄されたここ50年くらいで生まれた生態系だ。高水時には川の流れを悪くするので治水のために伐採される可能性もあり、永遠に続くわけではないだろう。

堤防を越えて堤外地に入る箇所は堤防が不自然に膨らんでいる。
過去に破堤した場所かもしれない。近くに九頭龍大神の石碑もあることだし。

都幾川の旧流路が大きなワンドのようになっている。ここは沼ではなく、いまもときどき水が流れそう。
(2023年04月02日訪問)