都幾川の支流、雀川。
と、聞いてもほとんどの人はピンと来ないだろう。ときがわ町から小川町へ抜ける県道と八高線に並行に流れる目立たない川だ。源流部に雀川砂防ダム公園があるので、その看板が県道に出ているのに気付くかもしれない。
きょうはその雀川を遡ってみる。
都幾川との合流部にはチープな吊り橋があって、そのことは以前に飛石と一緒に紹介した。
合流地を見ていると都幾川の水の透明度が高いのに比べて雀川の水はあきらかに淀んでいて透明感がない。流域の雑排水の流入が多く水が汚いのだろうか。
川岸のほとんどが2面ブロック積み擁壁で、川として見たときにもあまり楽しくない。
それでも川辺の道をたどっていくと、暗い照葉樹の森にさしかかった。
道は神社に突き当たり、左に折れて橋を渡っている。橋の名は春日橋。
あとで調べてみたら、江戸後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』にこの場所が紹介されていた。『風土記稿』は挿し絵が少ないのだが、そのなかで玉川村の景観として挿し絵があるということはそれなりにインパクトのある場所ということになる。
『風土記稿』に次のようにある。
春日社。村の鎮守とす。慶安2年社領5石1斗の御朱印を賜ふ。当社は貞和3年の勧請なりといえど正しき証はなし。社は山上にありて社前に古松など繁茂せり。麓に少々並木あり。此辺に古木多し。傍を玉壺川流る。その両岸皆岩石なるかうへ川の中にもここかしこと大石さし出たれば流水これにせかれ屈曲して流るるさまなど社前より望むに尤も勝景といえり。
春日橋の上から川を眺めてみることにした。
それまでの護岸された川岸からは想像できないようなワイルドな風景があった。
橋のすぐ下流には大きな淵がある。この淵は「玉壺」という。『風土記稿』に次のような記述がある。
玉壺川。村の中央より少く北の方にあり。幅5~6間。此川に土橋を架す。其橋下に玉壺と称する淵あり。僅かなる所なれどその深きこと量るべからずと云う。
大人が泳げるほどの水深があるが、水が汚いので川遊びには向かない。
上流側もまるで源流部のような風情。
雀川は江戸時代以前は玉壺川と呼ばれていたようだ。それが短縮されて玉川となり、旧玉川村(現ときがわ町)の名前になった。
(2025年10月23日訪問)
