雀川の川の様子を見るために車を駐車したのだが、その前に神社があったので素通りはできない。
お参りしていこう。
鳥居の前には聖徳太子碑。
その前に棹納め所がある。
棹納所の横は平坦な畑。
戦後、草競馬を行ったというようなことが書かれているがここが馬場だったのか。
鳥居の奥にすぐ社殿が見えているので、見た通りのこじんまりとした神社だろうと思っていたのだが、境内に入ってみるとまったく想像と違っていた。
外から見えていたのはこの拝殿。
いわゆる凸型拝殿である。
拝殿の前には自然石の水盤。
拝殿の左のほうに日露戦役凱旋記念碑というものがあった。
この春日神社は古くから戦の神として信仰されていたという。
拝殿は石段の土台の上に建てられていて、登る石段は2ヶ所ある。
その左側の石段を見ると、まだ奥に石段が続いているではないか。登らねば!
石段の途中にある納札所。
納札所を過ぎると荒くれた雰囲気の旧な石段がある。
踊り場を経てさらに石段が続く。
照葉樹林の中の苔むした石段を登っていくのって、和歌山県とか高知県の神社にいるような錯覚に陥る。
石段を登り切ったところに整地された場所がありそこにも社殿があった。
こちらが春日神社なのだ。
江戸時代の書物を見ると山上の境内の雰囲気はおおむね今と変わらない。
だとすると山麓にあった社殿は何? 里宮か?
古絵図にはその社殿は描かれていない。
山上の社殿は切妻妻入りの拝殿、相の間を経て、入母屋妻入りの覆屋につながっている。
拝殿から本殿を望む。
屋根は見切れているが一間社流造りだ。
神社の案内板によれば杮葺きとのこと。
覆屋は格子がふさがれていて中は見えない。
自撮り棒でも持ち歩いたほうがいいかな。
この覆屋の背後には神さまの出入口のようなものがある。柱に「神山彦十郎」という名前が彫られている。イタズラではないと思うので、この小窓と関係があるのだろうか。
反対側にも小窓がある。
こちらの柱にも「神山彦□□」と彫られている。
ここからさらに山の上のほうへ道が続いている。
50mほど登ってみたが単なる登山道で、これ以上社殿はなさそうだった。
この社殿の前には1基の石灯籠がある。
棹に「御神燈」と彫られている。
こうした石灯籠は通常は2本が1対で立てられるものだが、この神社は1基しかなくしかも社殿の真正面に立っている。つまり神さまの進路をふさぐような配置なのだ。
上の境内から別方向へ降りる石段があるので、帰路はこちらを下ろう。
すると山の奥のほうにまだ境内社があるのが見えた。
こちらは天満社。
内部には菅原道真の木造が祀られていた。
小さな神社だと思ってお参りしたら、想像以上に複雑で面白い神社だった。
(2025年10月23日訪問)
