大塚橋から300mほど道を北へいったところの道ばたに石仏が並んでいる。
場所は荒川の河原で、すぐそばを荒川が流れている。であるが、本稿は市野川流域の物件としてこの石仏群を扱いたい。
石仏の周囲は雑木が繁茂して、それをかき分けないとお姿が見られない。
地蔵菩薩と如意輪観音。
それに、馬頭観音と文字碑。
一番大きいのは文字碑だが、「永代 土供養塔」となっている。
造営されたのは天保2年(江戸後期)。
この石仏群の北側は少し道路が下がっていて、土橋がある。
土橋の両側は溝で、つる草に覆われてどこまでが地盤なのかわからず、あまり水路に近づけなかったのだが、土橋があるのはまちがいない。
この溝は、江戸時代の市野川の捷水路の跡だ。
現在の市野川捷水路は背割堤を作ったときにわずかに西側に付け替えられたが、江戸時代の捷水路は完全に埋め立てられず溝として残っているのだ。
石仏があるのはその江戸時代の市野川の右岸にあたる。ゆえにこの物件は荒川流域扱いではなく、市野川流域とした。
(2026年04月18日訪問)
