俗に「会津高野山」と呼ばれた名刹であったという。地方によく「○○高野」と称する寺は多いが、
参道付近の風景。突き当たりに八脚門が見えてくる。のどかな田舎の風景でしかないが、往時はこの通りにも塔頭が軒を連ねたのであろうか。左奥の民家の構えにそんな雰囲気が感じられないこともない。
本堂の阿弥陀堂。室町時代の様式をよく伝えるということで、国重文に指定されている。言われればそうかもしれないが、“室町時代の~"という建築は、言われないとなかなかそうとは見切れない。もっと眼力を養わなければ‥‥。
この日は祭りの準備で本堂が開け放たれ、本尊の善光寺三尊仏が拝観できた。
本堂の裏手にある奥の院。
すきまから中を覗くと厨子があり、前仏の阿弥陀如来が置かれていた。
1万5千の供養木塔が収められているという。これは死者の歯や髪、爪などを納めた小さな容器で遺族が供養のために奉納するもので、国指定重要有形民俗文化財に指定されているという。
阿弥陀如来の蓮台の右のほうに見える小さな木造塔がそれであろうか・・・。
写真は境内の閼伽井屋。空也清水と呼ばれている。
一見すると便所のようにも見えるが、れっきとした湧水である。残念ながら水量は少なかった。
境内にあった「殉教者(?)供養塔」。
謎過ぎる!
上のほうにある扉は何なのだ?
扉の上に「平和観音」と書かれている。この扉の中に観音様が入っているのだろうか。
下の文字がなければラジオ塔か時計塔かと思ってしまう。
(1999年08月22日訪問)