日龍峰寺

山奥にたたずむ古刹。懸崖造の本堂と鎌倉期の多宝塔。

(岐阜県関市神野)

日龍峰寺は関市の北側に接する武儀町(むぎちょう)にある古刹。またの名を高沢(たかさわ)観音ともいう。

武儀町は長良川の谷ではなく、今回の旅の行程からはずれているので、もともと立ち寄る予定ではなかった。なにしろ関市を見た後、その日のうちに美濃市、郡上八幡町まで行く予定だったからである。しかし宗休寺を見たのが2時過ぎ。なんとなく今日の予定は消化できそうにないことがわかってきた。そこで急きょコースを変更して日龍峰寺に立ち寄ることにした。関市の市街からは車で30分くらい。林業とかシイタケ栽培などを中心とした山村だ。

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総門は八脚門の仁王門で、車で登る道の途中にある。西国霊場などの山上の観音霊場によくありそうな雰囲気の山門だ。

実際にはここでは下車せず山上の駐車場へと向かう。

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駐車場にあった広域地図の一部。

駐車場から本堂へ向かう道は本来の参道とはちがって裏口のような感じだ。本来の参道はは山門から直接本堂へ登っていくルートなのだろう。

ただし駐車場側には鐘楼や薬師堂などがあるので、駐車場から歩くことによってそうした諸堂を観られるから悪いルートではない。

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駐車場からはまず本坊のほうへ登る。

本坊の近くにあった伽藍配置図。お寺が立てたものだけど、さきほどの広域地図のほうがわかりやすいかな。

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本坊から急な山道を登ったところに鐘楼がある。

ここからは比較的平坦な道のりになる。

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続いてあるのが不動堂。

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不動堂の背面には薬師堂。

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続いて、金毘羅堂。

鎮守社である。手前の吹き放ちの建物が拝殿で、その背後の赤い屋根のお堂が金毘羅堂だ。

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本堂へ向かう途中にある多宝塔。

この寺で最も古い建築である。鎌倉時代の建築で、北条政子が寄進したという伝説もある。現在国重文に指定されているが、国宝に近いほうの国重文であろう。

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多宝塔といえば、滋賀県の石山寺の多宝塔が日本一美しいとよく言われるが、この多宝塔はその石山寺の多宝塔と共通する意匠が多いそうである。

多宝塔から本堂へは下りになる。

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本堂は懸崖造りで檜皮葺き。

残念ながら修理中で外見はよくわからかった。

県文だが、限りなく国重文に近いレベルのものと見た。

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本堂の右側にはやはり懸崖造りの籠り堂がある。

この石段を登って本堂へ入る。

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本堂の基礎が見えるが、けっこう木材が風化していて頼りない感じがする。

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籠り堂から本堂を望む。

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本堂内部の様子。

正面は吹き放ちで、おびんずる様などがおかれている。風雪で傷みやすそうな建物である。

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本堂内部の様子。

外陣が吹き放ちになっているが、内陣は逆にガラス戸があって、中はよくうかがえない。本尊は千手観音である。

内陣の上には、軍国絵馬がかけられている。

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清国海上縣大激戦の圖。

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第三師團(閲兵式の図?)。

後ろに見えるのは名古屋城かな。

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本堂の横にわずかなすきまを発見!

通路が奥へと続いている。

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本堂の裏にはなんと湧き水が‥‥。

格子のすきまから汲めるようになっている。ホコリをかぶったお持ち帰り用の水筒(電車の車内販売のお茶が入っているようなやつ)が売られていた。

本堂の裏側がこんなじめじめした所では、建物の痛みも激しいんじゃないかと思う。

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さらに本堂の裏を登ったところに鎮守社の白山社があった。

今回は本堂が修理中であまり全容がよくわからなかったので、機会があればいずれ再訪したい。

(2000年04月30日訪問)