福蔵寺

「猫檀家」の伝説を伝える寺。

(岩手県二戸市浄法寺町寺ノ上)

八戸を目指す旅。東北自動車道をひた走る。夜明けごろ仮眠をとり、岩手県浄法寺町付近に着いたころにはもう日が高くなっていた。家からの距離は650キロである。

そのまま八戸自動車道を進めば、目的の八戸はすぐそこである。だが、その前にどうしても天台寺という寺に立ち寄りたくて浄法寺I.C.で高速を降りた。

天台寺に行く前に、インターの近くの福蔵寺に寄る。実はこのあたりを訪れるのは2度目なのだが、その時は夜だったため、ちょっと気になったものの通過したという記憶がある。2度訪れて2度とも素通りというのはなんだから、今度は立ち寄ることにした。

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薬医門。

この薬医門は旧道(小さな峠道だ)に面している。峠には青面金剛や馬頭観音の石塔があったりする趣のある道だ。

現在は別に主要道が開通していて、この道を通る人はほとんどいない。今は裏門のようになっていて、山門はもう一つ別にある。

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境内は、本堂、玄関、庫裏、太子堂(?)。

誰もいない静かな境内。平日の昼間の時間がのんびりと流れている。

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本堂の前にはまわり場がある。まわり場については初出なのに、わかりにくい写真で本当に申し訳ないが、本堂前のアスファルト舗装に円形にモルタルが打ってある部分、これがそうだ。

まわり場については、もう少し分かりやすい写真のある時にあらためて説明しようと思う。今回の旅ではたくさんのまわり場を目にした。

この寺には「猫檀家」の伝説の一種が伝わっている。

慶長4年、南部藩主信直公の葬儀の際、突然棺が空中に舞い上がったが、当山住職大突和尚が念じたところ棺が戻った。その功績に寺領30石を与えられたという。その際、和尚が可愛がっていた猫が力を貸したので、それに感謝して猫塚を築いたという。

なんか「猫檀家」としては中途半端なストーリーだが、年号や葬儀まで明確にしているのが面白い。また、寺領を賜ったときの証文や猫塚といった証拠物件が残っているということから、ここでは民話というより伝説に近い。

一般的な「猫檀家」とはだいたい次のような民話である。

ぼろ寺の和尚がトラという名前の猫を飼っていた。猫は年をとり、いつか化けるようになっていた。ある晩、和尚にそれを見られてしまい、猫はいとまごいを願い出る。そして、いままでお世話になったお礼に、一芝居打って寺を再興させてやるという。猫が言うのには、近々庄屋の娘が死ぬ。その葬式で、自分が妖力で棺を空中に上げるから、和尚がお経を唱えてそれを降ろせ、というのだった。その時合図として「南無トラや」と唱えろという。やがて猫の予言通り庄屋の娘が死に、葬式で棺が空中に上がって大騒ぎとなる。庄屋は近郷近在の僧侶を集めて読経させるが、棺は下りてこない。他にもう僧侶はいないのか? そう言えば山のぼろ寺にまだ一人いるぞ、ということでぼろ寺の和尚が呼ばれる。ぼろ寺の和尚は適当な経を読んでみせて、ころ合いを見て「南無トラや」と唱える。すると棺が下りて庄屋は大喜び。その後、庄屋はぼろ寺の檀家になり、寺は立派に建て直されたという。

(2000年10月04日訪問)