妙本寺

西身延と呼ばれた名刹。国重文、極彩色の番神堂がある。

(岡山県吉備中央町北)

岡山の郊外の宿を出て、賀陽町までは高速道路を使ってわずかの時間で到着する。寺に着いたのは8時半ごろ。朝が苦手な私としては精いっぱいの早起きなのだが、宿からあまり時間がかからずに目的地に到着したため、まだ気持ちにエンジンがかからない。

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最初の目的地妙本寺はかつて「西の身延」と呼ばれた日蓮宗の名刹だという。身延山のような山深いところではなく、なだらかな山が連なる高原地帯に立地している。

総門の冠木門。周囲は畑などになっていて、本当にこんなところに身延山と並び称されるような寺があるのか、と思えるようなのどかな景色が続いている。

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続いて、三間一戸の楼門がある。

駐車場に車を停めて、途中のコンビニで買ってきた朝食を食べてなんとか目を覚ます。

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楼門の屋根は茶色い塗り瓦。

楼門から境内までは50mほどの参道で隔たっている。周囲は畑だ。

参道の先は石段になっていて境内はその上にある。

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境内は見通しがきく広々とした丘の上にある。周囲は低い白壁に囲まれているが、本堂の周囲はサラ地になっていて樹木が少ないので少し殺風景だ。

本堂の屋根はこけら葺き。

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本堂と書院を結ぶ渡り廊下。途中には向唐門の中門があって、番神堂への入口になっている。

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中門を入った先にある三十番神堂。三十番神とは法華経を守る30の神のこと。熱田、諏訪‥‥吉備津などの神々が法華経の守護神であると説明する、本地垂迹説にもとづくものだ。

妙本寺を中興した日倶(にちぐ)という僧侶が、吉田兼倶と論争をしてそれを打ち負かしたため、兼倶がこの堂を寄進したという伝説がある。(吉田兼倶は本地垂迹説と対立する唯一神道の提唱者。)

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建物はおそらく安土桃山時代~江戸初期のものと思われるので、吉田兼倶(室町没)が寄進したという伝説とは時代がすこしずれる。

屋根はこけら葺きで流造。国重文に指定されている。和様を基調としているが、華美な装飾がされたハデな意匠だ。木鼻の彫刻は獏だろうか? ミントグリーンのユーモラスな彫刻だ。

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書院(左)と客殿(右端)。

諸堂宇は渡り廊下でつながっている。

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境内にはほかに、袴腰鐘楼(写真)、土蔵、庫裏。

それなりに立派な寺ではあるが、西の身延というほどのものではなかった。

(2001年05月05日訪問)

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