永福寺。本来は国分寺へ向かっていたのだが、地図にない新しい道路が作られていたため場所を見誤って間違って着いてしまった。間違ってしまったとはいえ、門前まで来た以上は参詣しておこう。発見がないとも限らないからだ。同行している友人は車の中で寝ているので置いて行く。
山門は朱塗りの薬医門、左側には閻魔堂が接合している。閻魔堂の内部には石造の閻魔大王と(たぶん)三十三体の観音像があった。
参道は寺の前でかぎの手に曲がっていて、寺の前は公園になっていた。
薬医門の右側には地蔵堂(地蔵格子の堂)、役行者堂(入母屋の方1間の堂)があった。
役行者堂の内部の様子。中央にいるのは間違いなく役行者であろう。
役行者の左側には修験僧の形の烏天狗のような石像、右側にいるのは役行者の眷族である前鬼・後鬼のいずれかであろうか。
ちなみにここ永福寺は曹洞宗だが、役行者は修験道の教祖なのでどちらかといえば真言・天台系である。
本堂。
本堂の右側には庫裏×2、阿伽井屋のような建物。
本堂の左側にも堂がある。
入母屋妻入りの右側の堂は薬師堂。
左側の切り妻平入りの堂は十王堂。
十王堂内部の様子。
閻魔大王を中心として、10人の冥界の裁判官たちが居並ぶ。中央には死者の生前の罪業を表示するモニター装置ともいえる「
このような十王のセットは決して珍しいものではないのだが、三河地方には他の地方よりも濃密に分布しているように感じられる。
(2001年10月07日訪問)