清光寺。三河国国分尼寺の敷地に建てられていた寺。
入り口は薬医門で西側から入るようになっている。
堂宇は、本堂、玄関、庫裏、東司などからなり、総ケヤキ造り。
まだ出来立てであった。
本堂の左側には東司と温室。奥のほうに見えるのは鎮守社か。寺の入り口には豊川摩利支天霊場と書かれていたからもしかしたら摩利支天が祀られている堂かも知れない。
庫裏は、本格的な庫裏形式。
清光寺の東側は国分尼寺の史跡公園が整備されつつあった。このときはまだ整備中で立入禁止になっていた。
もともと清光寺は国分尼寺の敷地にあり、史跡公園化によって西側に移転させられたのではないかと想像される。
清光寺の現伽藍はどれもそこそこにお金がかかっているものだが、本堂も庫裏も軒までの高さが高く、屋根・小屋組みが貧弱に感じられる。特に本堂は隣の玄関の棟よりも軒が高くなっており、とても安そうなシルエットになってしまっている。せっかくお金をかけて作るのにもったいなことだと思う。
国分尼寺は複廊をもった巨大な寺趾で、現在国内で発掘された国分尼寺としては最大の規模のものだという。
(2001年10月07日訪問)