きょうは県西、阿波町に来ている。
徳島県を東西に横切る吉野川の北岸には撫養街道という街道がある。河口部の鳴門市と、吉野川の上流部の池田町を結ぶ街道だ。別名を川北街道ともいう。現在では2車線の県道12号線があるが、古道は県道を縫うように並走している。撫養街道は徳島市にはかかっていないし、鳴門市から池田町までのあいだにはさして大きな都市もないため、のどかな田園の中を古道たどることができる。
その古道で辻時計を見かけた。
場所は旧撫養街道と、県道2号線の裏街道(?)との交差点。(写真は県道2号線の裏街道を南方向に見たところ)
徳島の1ケタの県道、つまり県道1,2,3…号線は、撫養街道を魚の背骨としたときのあばら骨に相当する道で、香川県との間の阿讃山脈を越える重要な峠道になっている。
その交点は今でこそ人通りはないが、かつては目印となる場所だったのだろう。
左右を垣根に囲まれているのであまり目立たなくなってしまっている。
全体の形は神社の参道などにあるぼんぼりに似ていて時計はすでにない。知らない人がみたら、これは何に見えるのだろう。
柱の正面には「
「昭和四年之を建てる」とあるのはおそらく昭和天皇の即位の礼(昭和3年11月)を記念したものなのであろう。
背後の建物は町内の公民館のようだが、敷地や家屋の様子からもともとは一般の家屋だったのではないかと思われる。
裏側はこんな感じになっている。
(2004年10月24日訪問)