野良時計から北側に古い町並みがあると書いてあったので歩いてみた。
安芸城址の周辺に残る武家屋敷街のようだ。
武家屋敷街というと、白い土塀や長屋門などが連なる風景を想像しがちだけれど、地方の城下町の武家屋敷街がそのまま残っているような場所はだいたいこんな感じの生垣が続くような住宅街になっている。
つまり、こんな感じの路地が武家屋敷街跡の風景なのだ。
うん! すごく武家屋敷街っぽいぞ。
長屋門もある。
家老級の上級武士のお宅だろうか。
こちらも典型的な武家屋敷。
現在も人が住んでいるので、斜めから撮影した。
観光客に解放されている武家屋敷があった。案内板によれば、
ここ野村家は、与力・騎馬として五藤家使えた上流の家臣であり、地元の財政、家臣の人事等の惣役(元締)を行っていたといわれている。家屋は幕末の建造らしく、終戦後炊事場と縁側を一部改造しているが、間取り等は当時の武家様式がみられる。
とある。
入口は棟門で門扉はない。
門を入った先は玄関なのだが、門から戸口がオフセットしていて中を見通せないような動線になっている。
私が武家屋敷と認定するときの基準のひとつだ。この配置であれば、建物が近代に建て変わっていたとしても元武家屋敷の可能性が高い。
門をくぐると、動線は左側に折れて、、、
玄関になっている。玄関が狭いのも、大人数で攻め込まれないための意図的な設計だろう。
日常の生活にも戦いに備える武士の心構えみたいなものがあって、こうした住宅様式が発達したのだろう。
奥へ進んでみよう。
いまは人が住んでおらず、家財道具もすべて片づけられて見学用の古民家になっている。
古い台所。
使いづらそ~
台所が通り土間になっているので、炊事をするときも下足履きだったのが昔の暮らし。
野村家を出て、またブラブラ。
建物の平や焼き板が目立つ。
こうした生垣が武家屋敷街っぽさを増している。
もっとも、ここまでくると修景なのかもしれないが。
何となく安芸というと野良時計のイメージしかなかったけれど、なかなかどっこい、この武家屋敷街のほうが見ごたえがあるではないか。
(この5年後にこの町並みは重伝建に指定された。)
また武家屋敷があった。
やっぱり中が見通せないようになっている。
町外れまで来ると、田植えの終わった田んぼがあった。
きょうは8月11日だ。つまり、年間に2回コメを収穫する二期作の2期目の田植えである。
(2007年08月11日訪問)