二川宿を一周りして、車を駐車していた本陣資料館へと戻ってきた。残りの寺社は車で巡るつもりだからだ。
普段はあまり展示民家には興味がわかないのだが、ちょうど開館時間だったので見学することにした。
敷地の東端に薬医門がある。大名などはここから本陣に入ったのだろう。
薬医門を入ると庭があり、突き当たり(写真でいうと手前方向)は式台玄関になっており、そこから奥が大名の居室になる。
写真左手の建物は使用人などがいた建物。赤茶色に見える物置のような小部屋は武者隠しで、ここに侍が詰めていたのであろう。不逞の輩が薬医門から乱入してきても、この番所から護衛が飛び出して防ぐという、ある意味城郭的な防御構造だ。
使用人などがいた建物は中央に通り土間がある。通り土間とは、土足のまま家の正面から裏庭まで通り抜けられる通路のことだ。
通り土間にはカマドがあるが、なんとも生活感のないディスプレイになっている。
だがこの家のような上層階級の住居であれば、日ごろから整理整頓されていたのかもしれない。
土間の左右は板の間になっている。ここは天井も高く、本陣というより商家のような建築。一部に二階もあるようだ。
そもそも本陣建築とか本陣様式などというものはあるのだろうか。
開館時間直後で他の観光客がいないので気兼ねなく写真を撮れる。
続いて大名の使う棟へ行ってみた。
一番奥の部屋が上段の間。この建物の中で一番格式の高い部屋だ。造りは書院造で質素な感じ。
だが他のフロアより高く作ってあり、その中央にさらに一段高く畳がしかれている。こんなところでくつろぎたくないなあ。
ちなみにこの棟だけでも200畳くらいはあるだろうか。畳敷きの広い空間が続いている。だが、体育館のようにだだっ広いわけではない。このような坪庭がところどころにあって、構成に変化を与えている。
この坪庭の狭さはどうだ。
煤竹で作られた瀟洒なぬれ縁。贅沢のきわみと言えるものだろう。
それにこのアングルから眺めたときの、左奥の部屋のジグザグに折れ曲がった構図もみごと。ため息が出る。
四方を完全に建物に取り込まれた4坪くらいの小さな庭があった。
前後左右を隣家や塀に囲まれた閉ざされた町屋の内部にあって、ここには室内と室外の境界線がない。風も光も遮られることなく部屋の中にはいってくる。苔むした地面、小さな陰樹、水盤にはいつも清潔な水がためてある‥‥これこそ、私のような粗野な田舎者には逆立ちしても絶対に手に入れることができない、日本の都会人が生み出した洗練の極致なのであろう。
建物が大きいだけあって、この本陣内には湯殿や雪隠が何ヶ所もある。
上段の間の横にあった湯殿。
雪隠も何ヶ所もあるのだが、これは上段の間にあった小用便器。徳川家茂が休憩したときに幕府の指示で作らせたというものの復元。
これは大便器。やはり徳川家茂スペシャル。
こちらは我々がよく知っているような普通の便器。だが、床の鏡板などを見るに、それなりに立派な便所なのだろう。
いわゆる金隠しの部分に把っ手が付いているのが特徴だ。
脇本陣は今は普通の住宅になってしまっていた。
(2001年11月23日訪問)