二川八幡神社。宿場の中ほどにある神社だ。案内板によれば、1195年に鎌倉の鶴岡八幡宮を勧進したものが始まりだという。
宿場のメインストリートに面して鳥居が立っている。
参道の左右は築地塀になっている、ちょっと変わった参道だ。
参道を進むと二の鳥居がある。二の鳥居の手前にある桜の樹は「逆さ桜」と呼ばれている。
紀元2600年の奉祝の際にサカキを植樹し、柵に桜の杭を使ったところそのうちの一本が芽生えたのだという。伝説というのはかならずしも真実である必要はないが、戦前のおかしなナショナリズムが生み出した伝説を現代に吹聴するのはどうかと思う。
参道に並んでいる灯籠も、紀元2600年を記念して作られたのではないかという匂いがプンプンしている‥‥
鳥居は三の鳥居まであり、境内に入る。
境内に入ってすぐ左側には水盤舎がある。
拝殿は権現造。
もっとも、権現造というのは正確には入母屋造の本殿と入母屋造の拝殿が密着したものを言うのであるし、しかも神社の「○○造」とは本殿の構造の分類を言うものだから、「拝殿が権現造」という表現は二重に間違っている。間違っているのはわかるのだが、そうとしか言いようがないのだ。
神社にはあまり詳しくないのだが、拝殿の様式を表わす建築用語は存在するのだろうか‥‥。
拝殿の背後には幣殿があり、本殿は流造になっている。
つまり、前半は権現造ふう、後半が流造というわけだ。こういう神社は珍しくはないので、なんとか形容する言葉が欲しいと思っている。
続いて、参集殿(赤茶色の部分)、神楽殿(焦げ茶色の部分)がある。
本殿の右側の奥には末社がある。
左から、若宮神社、稲荷社(朱の鳥居)、三峰神社、護国神社である。
その前には神楽殿のようなものがある。
本殿を正面に見て、右側になる。
境内の右側には社務所がある。
他に、井戸、東司があった。
(2001年11月23日訪問)