この日最後の訪問予定地、長円寺。
この直前に見た華蔵寺界隈で、すでに日が落ちていたので、訪問と写真の撮影には1分1秒を争うような状態になってきていた。
寺まではスムーズに到着したので、置けそうなところに車を置いて、間髪入れずに参詣する。
参道の山門の外には弥勒堂がある。
山門は薬医門。
山門の前は緩い石段になっていて、いかにも地方の小名刹といった風情だ。
ただし、近くでみると山門はかなり傷んでいる。
山門を過ぎると石垣が続いていて、鎮守社がある。
参道は鉤の手に折れ曲がり、緩い傾斜の幅広の石段が続く。
境内に入ると、本堂の左側に傾きかけた水盤舎がある。
遅い時間でなければ紅葉が奇麗だったろう。
本堂の左側(写真の奥)には池があり、石造の羅漢像が並んでいる。
本堂。真っ白な障子と黒い舞良戸を引き違いにしてあるのがすがすがしい。
中央の桟唐戸の部分は障子を開けて本堂に入ったところも土間になっているはずである。このように本堂の入ったすぐのところが土間になっているのは禅宗の本堂の典型的な構造だ。
本堂の右側には玄関、庫裏。その裏には蔵が何棟かあった。
庫裏の前には鐘堂。これは築十年前後という感じの新しい建物。
本堂の裏のほうへ廻っていくと、通用門があり、石畳が続いている。さらに小さな四脚門を過ぎると霊廟がある。
徳川家の家臣、板倉氏の廟とのこと。
昼でも暗いような森のなかであるため、この時間帯ではほとんど観察できなかったが、こうして写真を増感じてみた感じでは、安土桃山文化の香りを微妙に感じさせる。江戸初期の当時の建物であろうか。
暗くてよくわからなかったのだが、山門や水盤舎などが傾いていて、なんとなく全体的に傷んだ感じの名刹だった。
早足で境内を一周りして出てくると、もはやかろうじて見えるのは道路だけ。里山の森はすっかり黒い色に覆われている。訪問時間にちょっと無理があったかもしれないが、このとき立ち寄らなかったらもうこの寺に行く機会はないだろう。
数えきれないほどのカラスが鳴きながら群れ飛んでいた。ねぐらへ帰るために集合していたのだろう。
これだけたくさんのカラスが帰れるねぐらがあるということは、三河平野にはまだ里山が残されているということなのだろう。
時刻は5時をすぎていた。遠景の鎮守の杜はまるで影絵のように見える。
あたりは秋の夕方のしっとりとした空気のせいで不思議なほどの静寂につつまれていた。遠くから寺の鐘の音が聞こえてきた。さすがに今日はここまでであろう。
西尾市を訪れたのは初めてだが、商工業地帯なので泊まる場所の心配はまったく感じない。こういう気ままな旅だと宿は日が落ちてからの飛び込みになるので、観光地ではかえって泊まる場所が見つからなかったりする。観光地の宿は予約が中心で宿自体が飛び込みの素泊まり客に慣れていないため、面倒くさがられて断られることもあるからだ。だが商工業地帯の宿は商談や接待で遅くなった営業マンなどを日常的に受け入れているので、遅い時間からの宿探しもすんなりと決まることが多い。
西尾市の市街地に向かう道すがら、今夜は何を食べようかとか、近郊にのんびりできるスパがあるだろうかということのほうに気持ちは向かっていた。
(2001年11月23日訪問)