時刻が4時をまわったところで本日の最終目的地、大御堂寺、通称、野間の大堂へと到着した。
境内の外周は塀で囲まれているでなし、柵があるでもなし、ガードレールすらないので、どこからでも好きに敷地に入ることができる。
これを見て「なんだ、塀もないの?貧乏ったらしい寺だな」などと思ってはいけない。この塀のない散漫とした伽藍配置は、密教系の古刹にありがちなパターンであって、むしろ名刹の証しと言えるのだ。
境内図のとおり敷地は横に長い。
密教の名刹にこんな雰囲気の寺が多いのは、ひとつには、山岳信仰と結びついた創成期の密教寺院は、山中に建てられたために伽藍配置が地形に左右され、平地の寺院のように幾何学的な配置を取りえなかったということに関係するのかもしれない。
大御堂寺は現在は真言宗で、開祖は行基という伝説を持つが、少なくとも平安時代にはこの地にあったというのは間違いないだろう。建物などには古いものは残っていないが、古刹のオーラを感じさせる寺である。
境内の西駐車場から順路沿いに進むと、まず悠紀殿という建物がある。もと京都御所の建物だという。
その建物の前には青色の手すりがあり、内部は四国八十八ヶ所のお砂踏み霊場になっている。手すりと手すりの間の幅は人がやっとすれ違える程度の狭さで、手すりというよりは通路のようになっている。巡礼空間の一種と考えてよいだろう。
お砂踏みの順路はそのまま西に進み、客殿へと誘われる。
客殿の入口には向唐門がある。
この客殿では「源義朝の最後」の絵解きが行われている。絵解きの実演(?)は1回3,000円で同時に5人まで。見てみたいとも思ったが、1人を相手に絵解きを実演してもらうのも失礼かと思いってやめておいた。別に3,000円が高いと思ったわけではない。
客殿は仏教建築ではなく、御殿建築である。モデルとなったのは桃山城の御殿だとのこと。
客殿の前の空間にもなにやら回遊を強いるような通路が作られている。とりあえず回ってみよう。
さて、この大御堂寺のもう一つの特徴は、マニ車が随所に設置されているということである。
マニ車とはチベット仏教の信仰装置で、内部に教典が入っていて、これを手で1回転させると、教典を1回読んだことになるという素晴らしいマシーンなのである。マニ車には携帯型、中型、大型があるがこれは中型である。
客殿の廊下には所狭しと土産物が売られていた。
客殿の勅使門(?)
客殿の裏手には広い駐車場と、案内板によれば信徒会館とされる建物がある。
もともとは学校だったのではないだろうか。
境内を東のほうへ進むと鐘楼がある。梵鐘は藤原頼嗣が寄進したというもので国重文。
鐘楼は楼門タイプで、似た雰囲気のもの岡山県の蓮台寺で見たことがあるが、大御堂寺の鐘楼のほうが精かんな感じである。
境内の中央付近にあった大黒天の石仏と仏足石。
その前には後生車があった。よくよく回転系の装置が好きな寺のようだ。
稲荷神社。
案内図では五重塔の跡と書かれていた。
さらに東へ進むと本堂がある。
客殿からは100mくらい離れており、ひと気のないエリアである。
本堂から客殿方面を見たところ。途中は照葉樹の林になっていて、建物は所々にまばらに建っている。この閑散とした感じがマニアにはたまらないのである。
(2001年11月25日訪問)