ここまで国道1号の南側の寺々を訪れ、ちょうど昼の時刻となった。ここから午後の部となり、国道1号の北側の寺を巡りながら岡崎市街地方面へと戻る。
一畑薬師の次に立ち寄ったのが勝鬘皇寺だ。午前中に
この寺を訪れた理由は、寺の名前が漢字四文字だったからだ。経験則だが名前が漢字四文字の寺はそれなりに名刹である場合が多いのである。
で、この寺が期待どおりの名刹だったかというと、正直なところは普通の寺だと言うしかない。
だが、この門前の朽ちかけた白壁と、北東隅にある書院の風情だけは、一線を越えてしまっていると断言できる。非常に強いインパクトのある書院だ。このとき私の頭の中には、長野県飯田市の小笠原家という武家屋敷のイメージがなぜか浮かんでいた。(ぜんぜん、似てないのだが…。)
寺の名前「勝鬘皇」とは、おそらく聖徳太子のことだろう。「勝鬘経」という教典があり、それは聖徳太子にゆかりの深いものだからだ。入口の案内にも、「絹本著色聖徳太子絵伝四幅」という文化財があると書かれてあった。
山門は薬医門。
境内に入ってしまうと、門前の強烈な風情と打って変わって、普通の寺の境内である。
山門を入って右側には水盤舎、東司。
正面は本堂。
本堂の右側には玄関、庫裏。
本堂の左側には、宝形の太子堂がある。内部には厨子のようなものが置かれてあった。
通常、内部で仏事を行わない小さな的な堂には高欄を巡らしたり、木口階段を付けたりはしないように思う。
このような小さな堂に高欄を巡らす意匠はもしかしたら聖徳太子堂の特徴なのだろうか。思えば、午前中に見た随念寺の太子堂もこんなであった。高欄の突き当たりにある脇障子も覚えておくことにしよう。
太子堂の横には鐘堂。
書院部分は庫裏からは離れているため空家状態で、建物は汚れていた。
だが、書院の前の小さな枯山水の庭はなかなかのもので、まるで時間が停まったかのような侘びの世界を作り出している。
寺の他の部分にくらべて、この一角だけが圧倒的なオーラを放っている不思議な寺であった。
(2002年02月11日訪問)