池尻という集落で見かけた茶堂。他の地域であれば、迷わずバス停の待合所だと判断してしまいそうなたたずまいである。
正面吹き放ち、背面も祭壇の下が吹き放ち、左右側面には大きな窓が開いている。
バス停であれば冬などは寒風をしのぐためにここまでは開放的にはしないであろう。この吹き放ちという構造は茶堂のなによりの特徴なのだが、それが機能的な側面なのか、それとも、宗教的な側面なのか、はっきりとはわからない。
茶堂はよく「旅人に接待をする堂」などと説明されるが、街道筋にある茶屋のようなものではないことは明らかだ。人通りの少ない山村に 500 m ごとに茶屋は必要ないだろうから。
また、四国の遍路道にある善根宿のような施設とも違う。善根宿は弘法大師の分身であるお遍路さんにに宿や食事などを施すことで、功徳をつむのが目的である。そのためには、お遍路さんの通行が欠かせないが、四国では遍路道以外に茶堂がある場合が多い。
順当な説明としては、お盆の行事などと結びついた祖霊信仰の施設というのが考えられる。つまり、お盆の時期に道を通る人を先祖の霊に見立て、茶などを施すことで霊を慰めるというものだ。山野地区では、年一度、8月20日もしくは8月21日に茶堂での接待が行われることからもお盆との結びつきが指摘できる。21日に接待をする理由としてはお大師様の日だからと説明されているようだが、年一度だけの縁日であれば正忌の3月21日(新暦の場合は4月21日)となるのが一般的だ。
さて、お盆に家に帰ってくる霊は、お盆が終わればただちに帰ってもらう必要がある。精霊棚などはお盆が過ぎれば撤去されて霊の居場所はなくなるし、精霊流しなどの送りの行事によって追い立てられるようにあの世へ帰ってゆくのである。
つまり迎え入れた霊は決して長くとどまってはならないのだ。茶堂も、霊をもてなす機能は持つが、そこに霊が住み着くことができないように、居住性の悪い、吹きさらしの建物になっているとは考えられないだろうか。
(2002年08月26日訪問)