池尻下という集落にあった茶堂。(池尻下全景)
右上の地図をクリックすると、茶堂と集落の位置関係が確認できる。茶堂は街道に面しているが、集落は川の対岸になる。したがって、茶堂は付近にまったく人家のない場所に建っているのだ。茶堂を立地的に見ると、どうも、三本辻(T字路)、集落と集落の境界、あるいは個人の敷地の私道の入口に多いように思う。つまり、賽の神のように、境界にあって災厄の侵入を防ぐ役目を持っているのではないかと想像できる。
前のページで、茶堂は祖霊を迎える信仰的な機能を持っているのではないかという仮説を立てたが、もうひとつの仮説として、悪いものを境界内に立ち入らせないという機能も考えられるのではないだろうか。
道ばたの辻堂には、時として招かざる客が訪れることがある。私の住んでいる四国では、札所と札所の間の距離が長い区間では、歩き遍路が野宿をせざるをえなくなる場合がある。現代では、バス停の待合所などで野宿をするケースが多いが、近代以前には辻堂などに上がり込む遍路もいたろうし、田畑にある小屋などに入り込む者もいたかもしれない。中にはそのまま野垂れ死にする者もあったろう。
徳島の十一番札所から十二番札所は 12 km の山道で集落がない区間が続く。途中の山中には4ヶ所の庵があるのだが、私の知る限りでも近年そのうち2ヶ所で不審な自称僧侶が住み着いて問題になったことがある。そのような招かざる客が、村内に入ってこないように、村境で野宿をさせるという機能を茶堂は持っているのではないかと感じることがある。
茶堂の吹きさらしの構造は招かざる客の長期滞在を防止し、しかも誰かが野宿していたら村人にすぐにわかる機能性を持っているとも考えられるからである。
池尻下の茶堂は、軒下で野宿はさせるが、堂内には入らせないという構造である。
もちろん、実在の漂泊者を避けるというだけでなく、街道を通る何か厄病神や妖怪的なものを避けたり、あるいは、あの世からやってくるものを防ぐというような信仰的な意味のほうがより重要かも知れないが。
横にはミニ霊場札所、六十番横峰寺が併設されていた。
池尻下の風景。軒の低い民家がみえる。江戸末期くらいまでは遡る民家ではないか。
山野地区のなかでも特に美しい風景だと思う。
(2002年08月26日訪問)