赤城神社。
奉安殿が残っているというので立ち寄る。
参道は100mくらいある左写真は一の鳥居(奥)と、二の鳥居。
途中で道路が横断していて、境内に続いていく。
三の鳥居は両部鳥居。
赤城山麓には両部鳥居が多いような気がする。
参道にあった水琴窟。
水琴窟というのは、地下に埋めた壷に水滴が落ちるときの音の反響を聞いて楽しむという装置。
普通は茶室の庭などに作られるもので、神社の参道にあるのは珍しい。
拝殿。
左側には社務所と倉庫。
拝殿の背後には短い石の間がある。
本殿は一間社流造で極彩色。
最近修復されたものなのだろう。趣味の良い塗り方だ。
題材は布袋と寿老人。
背面の様子。こちらの題材は毘沙門天と弁天。
脇障子にも透かし彫りがしてある。
神楽殿があった。
素朴だがかなり大きな神楽殿だ。
農村歌舞伎などを演じる舞台かもしれない。
本殿の左側に、末社の八坂神社と蔵、そして奉安殿。
これが奉安殿だ。
本サイトでは初めて紹介する「鑑定書つき」の奉安殿である。
奉安殿というのは、戦前に天皇陛下の写真をたてまつった建物で、学校の敷地に建てたれていたものだ。旧敷島小学校に建てられていたもので、昭和49年に学校の改築時にこの場所に移築されたという。
奉安殿は敗戦時にGHQの指示により取り壊されたはずで、それが昭和49年まで学校の敷地内にあったというのが驚きだ。倉庫かなにかに偽装していたのだろうか。
なお、これからも本サイトでは「鑑定書なし」であっても、奉安殿の疑いがある建物を発見した場合は、ためらわず指摘していくつもりだ。
(2007年05月04日訪問)