山王廃寺跡

塔の心礎や石製鵄尾などが気軽に見学できる飛鳥時代の寺跡。

(群馬県前橋市総社町総社)

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続いて、山王稚蚕共同飼育所を探しに行くが、跡地は野菜集荷場になっていた。そのすぐ近くに山王廃寺跡という史跡があるので立ち寄ることにした。

山王廃寺は飛鳥時代(白鳳時代)の寺の跡で、今はもう寺は途絶えてしまっている。その五重塔の礎石が日枝神社神社の境内にあることから、神社の守護神「山王権現」の名前を取って山王廃寺と呼ばれている。寺の本当の名前が「山王寺」だったわけではない。本当の名前は出土物などから「放光寺」だったと考えられている。

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日枝神社の境内は狭く、六角堂の中に五重塔の心礎。その前には出土した石造物などが置かれた小屋がある。

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これが五重塔の心礎。仏舎利を納める穴もある。一般的な廃寺の礎石を見たことがあればわかると思うが、常識外れに精巧な加工がされた礎石といっていいだろう。

おそらく上屋も相当優れた建築だったと思われる。

ところでこの礎石、左上のあたりがセメントで固められているのが気になる。なぜ心礎の真上に覆屋を建てなかったんだろう。

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山王廃寺の伽藍配置は法起寺式で、回廊の内部に右に塔、左に金堂を配置ししたものだ。つまり、法隆寺式の左右が逆になった配置だった。年代的には、七世紀の後半とみられている。全国に国分寺がつくられるより以前、法隆寺とあまり変わらない時代にすでに関東地方にこれほどの寺院があったというのは驚く。

石製鵄尾と寝巻き石と呼ばれる柱の下部の装飾の礎石。

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鳥居の横にもなにやら怪しげな礎石が。これも山王廃寺の礎石の一部ではないのだろうか。それにしては扱いがぞんざいだが。

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境内には庚申塔などの石仏が置かれている。

庚申信仰は関東で盛んだが、これから見ていく西上州の地域では道祖神と並んで、ポピュラーな石仏だ。

この庚申塔は彫りも深くわかりやすいし、基壇部分のトリがおもしろいので撮影してみた。

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日枝神社の前には大谷石で出来た建物があった。阿久津石材店という石材店のようだ。

(2007年05月03日訪問)