旅の1日目。最初の目的地、元総社稚蚕共同飼育所を訪れてみたもののすでに建物はなくなっていた。稚蚕飼育時巡りでは、だいたい半分くらいは建物が残っていない。
その跡地のすぐ近くに縁切薬師と呼ばれる石仏があるので寄ってみた。縁切り薬師のいわれは、以前に紹介した蛇穴山古墳の伝説と関連している。
大蛇となって墓を守った
その後、大蛇も死に、沼もなくなったが、薬師如来はこの場所に残って信仰された。娘の魂をなぐさめるため化粧がほどこされ、化粧薬師とも呼ばれている。目の病気に霊験があるという。
さて、この化粧薬師は、生娘のまま人身御供となったために嫉妬深い性格で、この街道を嫁入りで通ると縁談が壊れるといわれている。いまでも地元ではこの道は嫁入りで通ってはならないとされている。これが縁切り薬師の由来である。
ひさしぶりに訪れた縁切り薬師はずいぶん雰囲気が変わっていた。以前はもっと狭い切り通しの坂だったような気がする。周囲は笹藪や雑木林の淋しいような場所で、縁切り薬師の場所も写真の左側の斜面(写真では平地の畑)のあたりだった気がするのだ。
縁切り薬師の北側は牛池川という川だ。ここがかつて風呂沼と呼ばれた場所だ。
この右側の段丘は戦国時代に蒼海城という城のなわばりで、風呂沼は外堀だったといわれている。
これが縁切り薬師。小さな堂に納められているのは昔のままだ。
堂の前には道祖神や庚申塔などが並んでいる。
堂の内部には小さな手作り感あふれる石仏がごろごろと投げ込まれている。
化粧といっても、関西の化粧地蔵のようなきらびやかなものではなく、口紅を塗っただけの質素な化粧だ。
以前に訪れたのは、私が中学生か高校生のころだったと思うからもう、ん十年も昔のことになる。そのとき薬師堂の中には「男と正妻が離婚するように」と願う不倫相手の祈願や、「○○先輩が○○と別れますように」と女子高生が書いたと思われるノートの切れ端があったり、女たちの赤裸々な呪詛が行われていて、私にとっては怖い場所だった。
いまからはちょっと想像しにくい。
なお、縁切り薬師の北側には、1万個の経石を埋めた場所があり、これを三大仏様と呼んでいるようだ。
(2007年05月03日訪問)