簗瀬二子塚古墳

石室内に朱の彩色が残っているという。

(群馬県安中市簗瀬)

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最近、国道18号から磯部へ抜ける新しい市道が開通し、その道に面した古墳の整備が始まった。簗瀬二子塚古墳である。

実はこの古墳、2008年に訪れた簗瀬八幡平の首塚の隣の敷地にあったのだが、そのときはまだ竹林に被われていて気付かなかった。

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前方後円墳で、東側の後円部南側に横穴式石室が開口している。

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石室内はベンガラで朱塗りされているが、現在は見学できなくなっている。整備が終わっても、中に入れるようにはならないだろう。

この古墳、高校生のときに首塚と一緒に見学したようなおぼろげな記憶があるが、そのころは普通に中に入れた。

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自分は古墳の専門家ではないので、トンチンカンなモノの見方しかできないのだが、整備され公園化した古墳が前より良くなったという実例を知らない。

どの古墳においても、整備とは、植生をはがし、日当たりを良くし、「それまで勝手に入れた石室に錠をかける」ことである。たぶん学術的にはそれがよいことなのだろう。だがそれが古墳に興味をもつ子どもを増やすことにつながるとはまったく思えないのだが。

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古墳は、千年以上の歴史のなかで、原野になったり、盗掘されたり、葺石を取られたり、桑畑になったり、竹林に埋もれたりしながら時を経てきた。石室はときには芋蔵になったり、防空壕になったり、なによりも子どもたちの冒険の場所にもなってきただろう。古墳はそのように育ってきたものなのだと私は思っている。それらすべて否定して、ある決まった形に固定してしまうことは、生きているものを殺してしまうようにすら感じるのだ。

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横穴式石室は入室できてナンボと思っている私にとって、とにかく、古墳の公園化は、つまらないものに変えることとしか思えないのである。

墳丘に登ってみた。東側に小さな神社が見える。

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これは簗瀬二子塚の陪塚ではないだろうか。

「真下明神」と額がかかっていた。県西には「真下(ましも)」という苗字があるので、真下家の氏神なのかも知れない。

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石室あるかもしれないと、一応一周りしてみたが、それらしき気配はなかった。古墳ですらないかもしれない。

(2013年03月09日訪問)

ふるさとの食 (アクロス福岡文化誌 2)

ペーパーバック – 2008/2/1
アクロス福岡文化誌編纂委員会 (編集)

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