冬のある日に県道10号線を通っていたら、甘楽社小野組の製糸工場跡の裏手の山中に、なにやら祠のようなものが見えた。祠は落葉樹の茂る斜面にあるため、落葉した冬場にしか見つけることができない。
甘楽社の繭倉庫を見たあと、その祠に行ってみることにした。
祠へ行く道はきわめてわかりにくく、まるで人家の入口のように見えるため、入り方がわからずに県道を2往復してしまった。人家を過ぎると、軽自動車しか通れない橋があって星川を渡る。
ふと下を見ると、川底は一枚の大きな岩盤で出来ていた。
この橋から下流1kmほどは、川が激しく蛇行している地形だ。川の蛇行には、中学校の教科書で習うような河口部の堆積で生じる蛇行と、隆起速度の速い山中にできる穿入蛇行があるというが、このような岩盤上で蛇行が生じるプロセスはそのいずれでもないように思われ、気になる地形だ。いつかここを見に来ることがあるかもしれない。
橋を渡ると、崖に沿って右手に進む道がある。
このあたりに車を停めることができる。
崖の上には石塔のようなものが見える。
これがその石塔。
わかりにくいが「普寛霊(神?)」と書かれている。聞いたことのない神様だが、御嶽(おんたけ)教に関係する行者を祀ったもののようだ。
崖の下部は大きくえぐれていて、細かく風化した層理面が見られる。非常にもろく、触ると次から次に崩れてくる。
富岡市を流れる鏑川の地下には中央構造線があるといわれる。川の南側は高圧で岩石が変成したいわゆる外帯という地質であり、北側は関東平野では火山灰が堆積しているという。星川は鏑川北側の内帯にあたる。この層理は火山泥流の堆積でできた比較的若い地層なのだろうか。
崖を過ぎると、コンクリで固めた参道があり、斜面は石段状になっている。
石段を上り詰めたところには、道から見えた祠があった。
定礎をみると、昭和33年となっているが壁が新しい。県道から見えるのに、これまで気付かなかったのは、最近補修されて見えるようになったからなのかもしれない。
内部には石祠があった。
祭神は大山社とある。
祠の廻りには聖観音の石仏があった。
そして、祠のさらに先の崖の上のほうに、磨崖仏と思われるものがあるが、剥離して斜面の途中に転がっていた。
近くで磨崖仏を確認しようと思って、斜面を横切ってみたが、これがとんでもないことに。
斜面は砕けた細かな石が降り積もったようになっていて、まるでアリジゴクのように崩れてくる。カメラをもって横断するのは至難のわざで、片道を来たものの、戻ることは不可能に思われた。
よく見ると、さらに奥にも石塔がある。
もしかすると、このまま裏山に抜けられる道があるのではないかと思って進んでみた。
文字は風化していてよく読めなかった。
「天御柱神」かもしれない。
この後、けもの道をたどりながらさらに登って山の裏側に出てみたら、そこは耕作放棄された畑の跡で、すさまじい薮だった。なんとか下山しようとしたがどうしてもルートが見つからない。何年も人間が立ち入っていないようだ。
身の丈よりも茂った雑木や笹原を薮漕ぎしているうちに方向もよくわからなくなり、ケータイで消防団を呼んで救出してもらうことも考えるほどの状況に。
その途中で見つけたキツネの巣。
こんなものが間近に観察できるほどの薮だったのだ。
「遭難したら谷に下りようとせず、尾根に登れ」の鉄則を思い出し、薮漕ぎでなんとか元のけもの道を見つけ出し、磨崖仏側斜面に生えた竹に飛び移りながら崖を滑り降りてなんとか別ルートから脱出できたのだった。
この祠を見学するとき、磨崖仏方面では尾根を越えないように注意したい。
(2013年05月27日訪問)