2008年に碓氷地方を訪れ、はじめて秋間地方をまじめに見て回った。そのとき「いずれ秋間のすべての字を訪れてみたい」と思い立ったのだが、2011年のGWにまとまった休みがとれたので、実行に移した。
主要なターゲットだった稚蚕飼育所は2008年にあらかた見てしまっていたので、今回の秋間訪問は何を見るという目的はない。1/25,000 地形図を見ながら、人家があると思われるすべての沢、尾根、行き止まりの道も含めてしらみつぶしに入ってみた。
田畑があればどんな作物を作っているか、耕作はしやすそうか、森があればどんな樹が生えているか、手入れはされているか、川があれば水があるか、魚はいそうか、崖があれば地質は何か、古民家があればどんな造りか、いまでも住んでいるか、寺や神社があれば参詣し、道ばたの石仏や墓地にめずらしいものがないか、というように、とにかく目に入るものを見ていく。
気が向けば車をとめて写真を撮るが、必ず何かを見つけようという気負いもないので、走行距離にくらべて撮影した写真は少ない旅となった。
最初に車をとめたのは、中後閑の集落の中だった。
写真のゴミ集積所のところにコンクリの壁があることに気付いた。稚蚕共同飼育所の跡だ。
通常、飼育所が取り壊された跡は畑に戻されたり、他の建物が建ったりしているのだが、ここは基礎がそのまま残っていた。
土室の跡もはっきり残っていて、駐車場にも資材置き場にもできそうにない。
隣の人の話によると、木造の建物が壊れてきて危ないので、とりあえず上屋だけ取り壊したのだそうだ。
これはこれで基礎の作り方がわかるという点で貴重な光景だろう。
室は、配蚕口から見て左側に5室、右側に6室。
左側が1室少ないのは、6室目の場所が出入口になっているからだ。
地下の貯桑室は埋められることもなく、床が抜けた状態のまま放置されていた。
この上に宿直室と挫桑場があったはずだ。
宿直室は向かって左側、挫桑場は向かって右側だったろう。
と言うのも、左側には炊事場の跡のような場所があったからだ。
近くで見かけた3階民家。
農家だったのか、商家だったのか、宿屋なのかよくわからない建物だった。
(2010年05月01日訪問)