馬場の絹笠明神

右手に繭、左手に桑を持つ女神像。

(群馬県安中市下磯部)

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安中駅から磯部温泉へ向かう県道の途中に、絹笠明神の石像がある。道ばただが、特に看板などの目印もないので、車で通っていたら気付くことはまずないだろう。

絹笠(きぬがさ)明神は、護符や掛け軸などにも描かれ、明治以降、養蚕の豊作を願う農家の信仰が篤かった。

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この石像は右手に繭、左手に桑の葉を持った姿の女神だ。女神の姿をした絹笠明神の起源はそれほど古くなく、江戸末期の茨城県の星福寺が元祖と言われている。カイコの起源を伝える「金色姫(こんじきひめ)」の伝説があることと、養蚕の担い手としても女性の活躍が多かったために、女神の姿が自然に広まったのであろう。

金色姫の伝説とは次のような話である。

インドに美しい姫がいたが、継母に疎まれていじめに遭う。はじめ獅子のいる谷ににすてられ、生還すると今度は鷹のいる山に捨てられ、次はうつぼ舟で海に流され、最後は庭に生き埋めにされる。その庭から木が生えて、カイコが生まれた。

カイコの幼虫の終齢は5齢で、そのあいだに脱皮の準備で4回活動が止まる。活動が止まる期間を「眠(みん)」といって、1眠、2眠、3眠、4眠があるわけだが、これを群馬県では「シジの眠り、タケの眠り、フナの眠り、ニワの眠り」と呼ぶ。「シジ(獅子)、タケ(鷹)、フナ、ニワ」は金色姫の苦難に由来するのだという。

(2010年05月13日訪問)