久保観音堂

赤穂義士の石像を建てた僧が住んだという。

(群馬県安中市東上秋間)

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長野新幹線の安中榛名駅が秋間に出来たときは「よくもまあこんなに何もない山の中に駅を作ったものだ」と思ったものだった。開業と同時に駅前にニュータウンが作られたが、その一角以外はいまでも山里である。

そのニュータウンからすぐの場所に小さな辻堂があったので立ち寄ってみた。お堂の横は小川があり、古い道のようだった。なかなかよい風情。

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「元助遺跡供養塔」という文化財の看板がみえた。

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元助というのは、元禄時代の秋間の人物で、赤穂義士・片岡高房の家に仕えていたのだという。討ち入り事件のあと、秋間にもどり四十七士を弔うために出家し、この場所にあった観音堂に住んだのだそうだ。

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観音堂の中には、元助の像があると案内板に書かれていたので中をのぞいてみた。中央左のやや大きめの僧形の木造がそうなのだろうか。

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この観音堂の横には、「四十九院塔」と呼ばれるものがあった。元助が建てたものだといわれている。説明板には、浅野長矩夫妻と四十七士の院号が刻まれているため地元では四十九院塔と呼ばれてきた、と書かれている。

元助はこのほかに、安中榛名駅の裏山に、四十七体の石像を建立している。どちらかというとその石像群のほうが知られていて、マイナーながらも秋間の観光名所になっている。今回は観光目的でもなかったので、四十七士の石像のほうへは行かなかったが・・・。

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戒名は卒塔婆状に刻まれていて、もう摩滅していてはっきりとは見えなかった。

このように、四方に49の卒塔婆を刻んだり、建て並べたりした墓は、一般的に「四十九院塔」と呼ばれる。実は赤穂浪士の人数とは関係なく、弥勒菩薩のいる世界にあるという49院の寺を起源とした墓石の形式なのだ。

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その横には、霊柩車が入っていそうな小屋があった。

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内部には、座棺輿の屋根ようなものが見えたが、色々と詰め込まれているのと暗いためにはっきりとはわからなかった。

(2010年05月02日訪問)

図解/古建築入門: 日本建築はどう造られているか

単行本 – 1990/11/1
西 和夫 (著)

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寺院建築の架構が最も理解しやすく書かれている本だと思います。