富岡市役所の前に、甘楽社の乾繭場の跡が残されている。乾繭場とは、農家から集荷した生きた繭を熱風で乾燥させ、中の蛹を殺すとともに、長期間の保存に耐えるように加工する工場である。
乾繭場は製糸工場内に設けられる場合もあるし、製糸工場とは別に建てられる場合もある。農家からより多くの繭を買い集めるための出先機関として、製糸工場から遠い町に乾繭場を建てることもあった。
内部は見学できないため、詳細はわからないところが多いが、道路側の2階の建物が荷受け場や事務所と思われる。
写真の奥側に見える、やや棟の高い銀色の換気塔の載った建物が乾繭機への投入のための繭の一時置き場ではなかったか。
敷地の一部は、なにやら産直の店舗になっていた。内部は改装されて、こじゃれたカフェなども作られている。
この建物には、甘楽社の当時の事務所なり、繭の一時置き場なりがあったはずだが、その様子は伺い知ることはできなくなった。
・・・もったいないことをするものだ。
銀色の換気塔のある建物の2階へはベルトコンベアで繭袋をあげられるようになっている。これは、乾繭機の投入口が2階にあるからだろうと思われる。
建物を奥に見ていくと、東西に長い棟の建物が2棟ある。この建物は、乾繭機を格納する上屋だ。
北側の一棟は越屋根を載せていて、背が高い。
南側の一棟は幅広で屋根は低い。
一部にメンテナンス用のハッチがあり、内部が見えている。
バンドが幾層にも見える。多段バンド式の乾繭装置だということが確認できる。
ボイラーの熱を送り込む配管なども見える。
南側の屋根の低い建屋の内部を見ると、さらに2台の乾繭機が並んでいる。おそらく、北側と似た多段バンド式の装置だろう。
遠くから見ただけなので確認はできないが、土蔵造の装置よりは年代が新しいのではないかという印象だ。
乾繭機棟のさらに東側にはボイラー室がある。
建物は崩れかけている。
窓から内部の様子が見えた。
巨大なボイラーが残されている。
どうやら、乾繭場の設備は一式残っているようだ。
煙突が倒れたのか、近くにころがっていた。
敷地内で見かけた石炭。
ボイラーは石炭を炊いたのだろう。
その奥は繭倉庫になっている。奥の建物は大谷石造、右側の建物はレンガ造。乾繭機から取り出した繭を備蓄したのだ。
この場所は上信電鉄富岡駅のすぐ横なので、倉庫から出庫した繭は鉄道で甘楽社の繰糸工場(甘楽町や高崎市?)へ運ばれたのかも知れない。
こうして見ただけでも、この施設が乾繭工場の様子をよく留めた、きわめて貴重な産業遺跡だということがわかるだろう。
だが残念なことに、建物の一部が商業施設に改装されてしまった。今後、観光客が増加すれば、さらに店舗化が進むのではないかという懸念がある。
いま富岡市では富岡製糸場が世界文化遺産に登録されるのではないかという期待から、雨後のタケノコのように雑貨店やカフェなどが出来始めている。
遠からず富岡市には、切り繭や絹の端切れを使った安っぽい雑貨があふれ、なんとなくレトロなたたずまいのカフェが軒を連ね、繭や桑の成分を練り込んだクッキーや健康食品を売る店が並ぶ街に変貌するだろう。
だがそれらの大半は群馬県の絹の歴史とは違う、思いつきのアイデア商品に過ぎない。
世界文化遺産というタイトルにとって本当に重要なのは、歴史に裏打ちされた本物の絹文化や、その史料ではないのだろうか。
その同じ市内で、乾繭工場が観光客相手の店舗に改装されて失われるのではあまりにも悲しい。
この工場の建物と建物内には機械製糸の歴史や技術を学べる貴重な手付かずの史料が残っている。もしこの建物を再利用するとしたら、甘楽社(もしくは、南三社)について学べる資料館にするべきだと思う。
思いつきの薄っぺらな改装をしたりせず、ぜひきちんとした産業史を後世に伝えていってほしい。
(2013年11月24日訪問)