これから紹介するのは、本サイトでは初めて登場する物件「集乳所」だ。これまでに「集乳所ではないか?」と疑った物件はあったが、いまにして思えばまるで的外れな見方だった。
2011年に群馬県榛東村の博物館の学芸員さんに村内の史跡を案内してもらったとき、実際の集乳所を2箇所見学して、やっと集乳所がどんなものなのかがわかった。
それまで、目の前にあっても気付かなかったものが、わかれば見えてくるものだ。
現に、この場所は2008年に一度訪れているのに、まったく集乳所に気付いていなかったのには、自分でもあきれてしまう。
このブロック積み造の建物が集乳所である。集乳所とは、小規模な酪農家が生乳を出荷するために牛乳缶を集荷する建物である。ここから、乳業メーカーのトラックが回収するという仕組みだった。建築された年代は昭和20~30年代であり、稚蚕飼育所と近い。
集乳所と紛らわしいものとして、バスの待合所、ポンプ小屋、共同精米場、消防団倉庫などがあり、まずそれらを疑う必要があるのだが、この物件は建物の規模や年代からかなりの確率で集乳所であろうと思われた。
場所は国道245号線沿いで、比較的よく通行する場所なので、集乳所を意識して走行していれば見落とすことはないだろう。
残念なことに小屋にはカギがかけられていて、内部をのぞくことはできなかった。現在は、地域のゴミ集積場として使われているようだ。
近くの人に聞いたところ、間違いなく集乳所で、暑い季節には牛乳缶を横の用水に浸けて冷やしたという。いまはドブ川のようになっている用水だが、昔はホタルが飛ぶ清流だったそうだ。
いまでは考えられないようなおおらかな時代だったと言うこともできるが、その時代の衛生感覚の中で、死者130人、中毒患者1万人以上を出した「森永ヒ素ミルク中毒事件」が発生したことは忘れてはならないだろう。
写真中央に、用水をせき止めるためのコンクリの堰が見える。ここに木の板を差し込んで水を溜め、牛乳缶を冷やしたのだという。
集乳所には内部に、缶を冷やすための水槽を持つ物件があったり、井戸を持つものもある。集乳所の建築的な機能についてはまだわかっていないことだらけで、これから調べていきたいと思っている。
(2011年07月09日訪問)