2008年に稚蚕飼育所巡りをしたとき、上八木連という集落の飼育所を見たのだが、そのすぐ隣の字、古立の飼育所を見落としいたことをあとで知った。
近くを通ることになったので、立ち寄ることにした。
斜面を利用して建てられた飼育所で、地下の貯桑室には道路から直接搬入できる。
観音山丘陵や秋間丘陵ではけっこう見かけたタイプ。
越屋根を載せた木造小屋組みのブロック電床育の飼育所である。
南側には小部屋が増設されていた。ここは作業者の出入口であり更衣室だったのではないかと思う。
飼育所の周囲には、蚕具の残骸が落ちていることが多いのだが、防毒マスクがころがっているのにはなかなかお目にかかれないと思う。
稚蚕飼育所では毎年何回も大量の頭数を飼育するため、病気が発生しやすくなる。そこで、飼育に先だってホルマリンを噴霧して室内や蚕具を消毒するのだが、その際に使用するものだ。
配蚕口のほうに回ってみる。配蚕口はガラス戸だったので中がよく見えた。
するとなんと、給桑リフトがあるではないか!
あまりにもたくさんの飼育所を見てきたため、飼育所のチェックもマンネリ化して、ここのところ驚きも少なくなっていたのだが、久しぶりに大発見。給桑リフトを間近で見るのは初めてだ。
挫桑場のほうへ行ってみる。挫桑場とは、貯桑場から運び上げた桑の葉を挫桑機という機械で細切れに加工したり、計量したりする場所だ。
稚蚕飼育所はたいていモルタルのべた基礎の土間なのだが、挫桑場は必ず床が張ってある。なぜ必ず床があるのか常々疑問に思っていたのだが、あるとき挫桑機を使っている飼育所の写真を見て理由がわかった。挫桑作業では大量の葉を山積みにするため、清掃がしやすいように木の床が必要なのだろうと思う。
地下への階段はフタがしてあった。
上げ下げするための取っ手などもなく、日に何度も開け閉めするものでもなさそうだ。
その他に、地下から桑を運び上げるエレベータがある。おそらく人間もこのエレベータに乗って、地下室に出入りしたのではないかと思う。
そしてこれがずっと見たかった給桑リフト。
群馬県の甘楽郡で考案されたとされる養蚕機械だ。この集落は現在は富岡市だが、平成の大合併前までは甘楽郡だったので、言わば給桑リフト発祥の地とも言える土地柄。
これは産業遺跡としてかなり貴重なものだと思う。
リフトの近影。このフックに桑葉を詰めた籠をひっかけたのであろうか。生物が進化の袋小路に入ってしまったとき、種が滅亡する最後の時代に特定の形質が過剰に現われてしまう現象を「過適応」というが、これはまさに過適応の例なのではないか。
ブロック電床育での給餌作業は、蚕箔をムロから引き出して、桑くれ台という台の上に置き、桑葉を与え、またムロに戻すという手順だ。桑だけが自動で運ばれてきたとしてもどれだけ労力が軽減されるかというと、あまり変わらないような気がする。
台所にはたくさんの茶碗があり、料理などを作れるようになっていたことがわかる。
人工飼料が登場する前の飼育所では、給桑回数の関係でほぼ朝から晩まで飼育所で働かなければならなかった。そのため、当番で食事を作ったり、全盛期には食事を作るだけの担当者を雇用したりしたという。
(2011年05月08日訪問)