今回の旅の準備として、稚蚕飼育所の位置を古い住宅地図で調べ、1/25,000地形図にプロットした。そのとき住宅地図に気になる城跡があったので、立ち寄ることにした。それが、新堀城である。別名を、
実は住宅地図を見ているときに、等高線の高低を逆に読んで、実際には丘である地形を谷だと勘違いした。そして、「谷の入口に寺と城下町、谷を登った尾根に山城でもあるのか。こんな場所が吉井にあったかな?」と思って確かめに立ち寄ったのだ。
杉山を背負った寺や、城下町の風情を残す集落を想像していたのだが、実際には地形がまったく逆。樹木も少ない台地に乾いたような畑が広がっていた。
新堀城は平井城の出城のひとつとして作られ、戦国時代末期には廃城になった城だった。
左写真は、城の中央の道路で、本廓と東廓の間にあった空堀の跡らしい。
道路から東を見た様子。東廓。
なんか、だだっぴろいだけで、城跡という感慨はない。
ちなみに私は城跡にはあまり詳しくないので、どのあたりを観察したらいいのかよくわからなかった。
取りあえず写真だけは撮ったが。
道路から西、本廓側を見た様子。こちらも特にコメントするような特徴も見つけられず・・・。
私にはまだ早い城跡だった。
(2008年12月28日訪問)