ここからは、2008年の稚蚕飼育所巡りを終えたあとの数年間に高崎藤岡方面で立ち寄った蚕糸業関係のスポットを追記してゆこうと思う。
紹介する順番は、観音山丘陵→鮎川に沿って南下→鬼石方面→藤岡市街地というように、2008年の飼育所巡りの最終日の移動を繰り返すような順番とするが、日付順になっているわけではない。
最初に紹介するのは、「穴大黒」という洞穴。
高校時代に探しに来たことがあり、それらしきものを見つけた記憶はあるのだが、場所や景色がどうも違っている。高校時代の記憶では、観音山丘陵の西斜面、字でいえば長坂や大谷という地域だったような気がする。だとすれば、私が高校時代に見つけたと思っている穴大黒は別のものだったのだろう。それはそれでいつか探しに行ってみたいものだ。
本物の穴大黒は観音山丘陵の尾根を通る県道49号線から、東斜面を少し降りたところにあった。
左写真はその入口付近。
現在では看板があるので見つけやすいが、もしこの看板が朽ち果てたら簡単には見つからなくなるだろう。
看板のある場所から降りていくと、それは古道であり、そのまま北に向かって 100 m ほど行ったところに穴大黒がある。
この道はおそらく、県道の旧道にあたるもので、以前に紹介した乗附の百庚申もこの道に沿って作られたものだ。
季節はまだ夏の終わりで、ヤブ蚊がひどく、穴大黒まではかなり不快な道のりだった。見学するのはヤブ蚊のいない季節がよいだろう。
古道から少し崖を登ったところに立て札が見えた。
これが穴大黒と称する洞穴。
おそらく
横穴墓は本サイトでは初出になるが、ありていにいえば、墳丘を築かずに、自然の斜面を利用して作られた横穴式古墳である。年代的には古墳時代末期のものとされている。
関東地方では埼玉県の吉見の百穴が有名。
穴大黒は埋葬品などはなく、古墳の面影もない。内部には石祠と大黒像が置かれている。
内部の平面は瓢箪型になっていて、向かって右側に石祠があり、左側は少し下がっていて水が溜まっている。
左側を掘り下げた際、凝灰岩層の下にある粘土層を掘り出してしまい、層理面から水が湧き出したのだろう。これでは古墳としても長期間使うことはできなかっただろうと思う。
(2013年09月19日訪問)