下栗須第一稚蚕共同飼育所

外壁にいまも飼育所の名前が大書きされている。

(群馬県藤岡市下栗須)

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この日最後に見た飼育所。やはり高崎寄りの市街地だったので残っていたのはびっくり。

壁面に大きく飼育所の名前が書かれている。

その下部には土管が並んでいる。一見ブロック電床育の典型のようでありながら土室の土管があるという、今回の旅で何度か見た判断の難しい建物だ。

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団地の敷地の一部であり、現在は倉庫に使われている。

配蚕口は東側。

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内部の様子。小屋は木造トラス。

ブロックの間仕切りがあるので、最後にブロック電床育だったのは間違いないと思う。

ブロック電床育であれば、側面の土管は必要ないわけだが、土室育飼育所の経験から不要な設備をつけてしまったと考えるべきかと思う。

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西側には採光がない。中央のシャッターは後補のものかも知れない。

おそらく挫桑室と宿直室だろう。

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付近には養蚕農家が残る。

ケヤキの立派な屋敷森だ。

今回の旅では、この飼育所のようなブロック積み構造で土管の換気口を持つ飼育所がいくつか見た。その例として、ここの他に高稚蚕共同飼育所松田稚蚕共同飼育所が挙げられる。

以前の飼育所巡りでも郷原西稚蚕共同飼育所小日向稚蚕共同飼育所で類似の遺構があったが、それらは外観が土室育全盛時代を思わせる木造建築だったため、いったん土室育として建築され、後に、ブロック電床育に改造されたという推測をしてきた。しかし、今回の旅で建物の外観が新しい飼育所でも土管の換気口が見つかったことから、「ブロック電床育でも下部に土管の換気口を持つ場合がある」ということがほぼ確認出来たと言っていいだろう。

さて、当初計画していた稚蚕飼育所巡りはこれで完結したことになる。もっとも完結といいつつも、振り返ってみれば稚蚕飼育所というテーマはまだ道半ばという気持ちのほうが強い。しかし「稚蚕飼育」に引き続き、この後「養蚕」、「製糸」、「染織」という蚕糸業全体を見ていくという計画もあり、稚蚕飼育所をメインテーマとした旅はいったんここで終わりとなる。

実を言えばその後の旅で、戦前の飼育所や他県の飼育所といった、ここまでで紹介できていない形式の飼育所も見ている。だが群馬県を代表する形態である「土室育」、「ブロック電床育」についてはだいたい俯瞰できたのではないかと思っている。他の形式については、この後の旅でおいおい紹介できるだろう。

(2008年12月30日訪問)

土葬の村 (講談社現代新書 2606)

新書 – 2021/2/17
高橋 繁行 (著)
筆者は「土葬・野辺送り」の聞き取り調査を30年にわたって続け、平成、令和になっても、ある地域に集中して残っていることを突き止めた。
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