坪内撚糸

前橋市で最後の専業撚糸工場。

(群馬県前橋市岩神町2丁目)

撚糸(ねんし)」という言葉の意味が理解できる人は、かなり糸に詳しい人であろう。「撚糸」とは、糸に()りをかけること、つまり糸をひねることである。

糸に撚りをかけることによって、糸は丈夫になり、機織りのときに扱いやすくなる。木綿やウールにも撚糸は必要だが、前橋市で撚糸と言えばそれは絹の撚糸のことである。

製糸工場で繭から引き出された糸を「生糸(きいと)」という。生糸は通常はそのままで布にすることはできない。布にするには撚糸工場で加工されて「撚り糸(よりいと)」に生まれ変わる必要があるのだ。それゆえ撚糸工場は「糸のまち前橋」にとって、欠くことのできない重要な要素だと言える。

これから紹介する坪内撚糸は私の知る限り、前橋で最後の専業絹撚糸工場であった。

細かい紹介に入る前に撚糸の概要を説明しよう。撚糸工場では以下の加工が行われる。

  1. 細い生糸を何本か引きそろえて目的の太さにする。たとえば、製糸工場で作られる太さ21デニールの生糸は細すぎるので、キモノにするには10本を合糸して210デニールの糸にするという具合である。
  2. 目的の太さの糸が得られたらそれに撚りをかける。必要な撚りの回数は最終的に作成する布によって違う。たとえば、キモノの表地であれば数百回/m、ちりめんであれば2,000回/m以上の撚りをかける。
  3. 撚りが戻らないように糸を蒸して撚りを固定する。

この3工程を一般に「撚糸」と呼ぶ。

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坪内撚糸の外観は、一見して工場のようには見えないし看板も出ていない。そのため前を通ってもここに撚糸工場があると気付く人はまずいないであろう。

ややもすれば、工場探訪に来たとしても「工場はもうなくなってしまって民家に建て替わった」と勘違いしそうな外観なのである。

だが、ここまでで各地の小規模の製糸工場などを見てきて、私はすぐにここは工場だと気付いた。

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恐る恐る玄関に呼びかけてみると、工場主の坪内さんが出てこられた。お願いしたところ、特別に工場の中を見せてもらうことができた。

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工場はいまは冬休み中で動いていなかった。

前橋に大きな製糸工場が無くなったいま、大ロットの撚糸加工はなくなり、工芸品としての座繰糸などを細々と加工しているという。

天井にはプーリーがあり、さまざまな機械に動力を伝えるようになっている。

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製糸工場から出荷される生糸は、通常は「(かせ)」という荷姿で箱詰めされている。綛はツイストドーナツのような形をしている。

これをいったんボビン(=円筒形の糸巻き)に巻き直してから他の機械にセットしなければならない。この巻き直しの機械を「綛繰(かせく)り機」という。奥に見えるものが綛繰り機であろう。上に見える細かいスポーク状の部分「綛車」に綛を巻き付けて、下のボビンに巻き取る仕組みのようだ。

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これは「合糸機」ではないかと思う。「合糸」とは、細い原糸を何本か引きそろえて、最終的に必要な太さにする工程である。この段階ではまだ撚りはかかっておらず、他の機械に移してから撚りをかける。

よく見ると下の木箱に「大野製糸」と墨書されている。城東町3丁目にあった玉糸製糸工場だ。玉糸とは、品質の悪い繭を使って作った素朴な糸であり、実は玉糸こそが前橋の生糸を特徴づけるものなのである。つまりこの坪内撚糸は、単なる撚糸工場ではなく、前橋の特徴的な糸を作ってきた工場だと言える。

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これは「イタリー撚糸機」という機械。

糸に撚りをかけるには、ボビンからボビンに糸をゆっくりと巻き移しながら、ボビン自体を高速で回転させる必要がある。これを言葉で説明するのは難しいのだが、一応書いてみよう。

糸巻き状のものから糸を引き出す方法は2通りある。ひとつはセロテープを引き出すような出し方。もう一つは荷造りヒモを引き出すような出し方だ。セロテープは円周方向(径方向)に、荷造りヒモは軸方向(長手方向)に引き出すという違いである。

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もし、送り側と受け側のボビンが両方とも「セロテープ方式」であれば、糸に撚りをかけることはできない。(たとえば、合糸機は、送り側と受け側の両方が「セロテープ方式」になっている。)

イタリー撚糸機では、下にある送り側のボビンが「荷造りヒモ方式」、上にある受け側のボビンが「セロテープ方式」になっているのが特徴である。受け側のボビンはゆっくりと糸を巻き取るのに対して、送り側のボビンが高速で回転するため、送り側で発生する過剰な回転が糸に撚りをかけるのである。

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これは「リング撚糸機」または「リング合撚機」と呼ばれる機械。イタリー撚糸機と逆に、送り側が「セロテープ方式」、受け側が「荷造りヒモ方式」になっている。つまり、上のボビンから下のボビンに向かって糸が巻かれる。高速回転するのは下のボビンである。

荷造りヒモを引き出すのと逆の動きで糸を巻くには、ボビンの外周で糸がスリップしながら綾振りする必要がある。そのガイドが円周運動するためのレールがリング状になっているので「リング撚糸機」と呼ばれる。

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リング撚糸機は、イタリー撚糸機に比べて原理も構造も複雑である。

そのメリットは、送り側のボビンが「セロテープ方式」になるため、ひとつの受け側ボビンに対して複数の送り側ボビンをセットすることができ、合糸をしながら撚糸できることである。

たとえば、左写真では縦に4個の送り側ボビンがセットされていて、1工程で4本の生糸を合糸しつつ、撚りかけできるのだ。

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これは「カバーリング機」という機械。カバーリングとは、「芯糸」のまわりに「(さや)糸」という別の種類の糸を巻き付ける撚糸の手法をいう。典型的なものは、金糸・銀糸だ。芯糸のまわりに金属を蒸着したテープを巻き付けて作るものだ。

だが、カバーリングにはもう一つの用法がある。それは、撚りの極端に少ない糸や、無撚の糸を芯糸として、外側に水で溶ける鞘糸を巻き付けるという用法だ。通常、機織りには無撚糸の糸を使うことはできないのだが、カバーリングでそれが可能になるという。

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カバーリング機の原理は、鞘糸を巻いたボビンの軸が中空になっていて、そこを芯糸が通過する。このとき芯糸はゆっくりと通過し、鞘糸側ボビンは高速で回転しながら「荷造りヒモ方式」で巻き付けられる。

この機械では、からみ糸のボビンは 上下に二連になっていて、1工程で2本の鞘糸を巻くこともできる。

複雑な機械なので、電源を入れて動くところを見せてくれた。

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ここは「撚り止め」をする蒸し場。

糸に撚りをかけてから、ボビンから外してたるませると、クルクルっとよじれてしまう。このよじれを「ビリ」と呼ぶ。

そうならないように、撚りをかけた糸はボビンに巻いたままで蒸し器に入れて加熱し、撚りを固定しなければならない。この工程を「撚り止め」と呼ぶ。

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ボビンを蒸すせいろ。

何でもないような風景に見えるが、糸にこだわる染織作家さんがこのページを見たら、目を皿にしてしまうのではないだろうか。

ほとんど、ネットで紹介されていないビジュアルだと思う。

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これは糸を湿らせるための水槽と思われる。奥に見える脱水機も見落とせない。

撚糸をする際には、ビリを抑制するために生糸を湿らせたり、糸のすべりを良くするための潤滑剤を含ませる必要がある。これはそのための水槽だろう。

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湿らせた糸は洗濯機に入れて脱水して、この物干し竿に干したのだろう。

こうしたちょっとした道具の使い方、位置などが、いちいちカッコいい。

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30分くらいの見学だったが、撚糸についての知識が格段に増えた。ここを見る前と後では自分が別人になったと感じるくらいだ。

寒い時期、お休みのところ見学させてくださった坪内撚糸さん、ありがとうございました。

残念なことに、見学から1年後の2014年2月の大雪で建屋が圧壊し、坪内撚糸は廃業してしまった。現在、跡地は更地になっており工場の面影はない。

(2013年01月20日訪問)