前代田の水車小屋跡

風呂川にかけられた水車の遺構。

(群馬県前橋市表町1丁目)

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若草公園の南側、表町1丁目の風呂川が流れている一角は、かつて前代田(まえしろた)と呼ばれた場所だった。城の南側の田んぼというような意味だという。

戦前から戦後にかけて、いまの若草公園から南の風呂川の両岸には養鯉池が並んでいた。そして川の東側には水車小屋があった。私が子供のころにはまだ建物が残っていて、屋根は青色の鉄板葺き、内部には臼や杵が見えたのを覚えている。写真の黒い車が駐車してある場所である。

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大正時代の地図を見ると、この一帯は田んぼでまったく人家がないが、すでに水車小屋の地図記号はある。かなり古くからあった水車小屋なのだ。現在その場所は人家の庭になっていて「水神」という石塔と、石臼が残っている。

臼はひき臼の上下、および、搗き臼である。あまりにも昔のことなので記憶があいまいだが、臼は3連だったような気がする。用途は精米や製粉だったろう。戦後にもこのあたりにはまだ水田があったのだ。

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取水部は小屋の北側の水門があるあたり。

水門で水位を上げられて、別の水路に流れ込むようになっていたのである。

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分水はこの写真の正面方向に流れ、水車小屋に導水したあとまた風呂川に合流していた。

この部分には風呂川にはめずらしい落差があり、おそらく導水された水路は「下掛け」で水車を回したと推測される。

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こちらは1950年ごろの航空写真。風呂川は水門の位置で南東方向に分水され、前橋駅の周辺の養鯉池や水田に水を供給していた。

そのころ前代田地域の南北の主な交通や商店街は風呂川の西側の五軒道路だったが、都市計画により東側に県道前橋玉村線の拡張工事が進行している。南東方向に斜めに流れる分水路も道路に沿った位置へ付け替えが行われているところのようだ。

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この写真北側にも小型の水門があり養鯉池に水を取り込むようになっていた。その水路の排水口が写真左下にあったのだが、風呂川が三面コンクリートに改修されたときに埋められてしまった。

いまではクランク状の流れが、ここに水車があったことを物語っている。

前橋市の古い地形図を見ると、風呂川にはいくつも水車がかかっていたことがわかる。だが現在、痕跡が確認できるのはここだけではないかと思う。

(2010年01月09日訪問)

ふるさとの食 (アクロス福岡文化誌 2)

ペーパーバック – 2008/2/1
アクロス福岡文化誌編纂委員会 (編集)

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