ズェガビン山脈の西麓を南へたどる旅もいよいよ終盤である。山脈はラインカァ峠という峠でいったん分断される。峠道から南の山塊はサダンケーブの山脈と言っていいだろう。
そのラインカァ峠へと向かう道に覆いかぶさるように巨樹があり、その下にお寺があった。
講堂とナッ祠が道路に面して並んでおり、少し引っ込んだところに本堂がある。
講堂の内部。
タイル張りで暑い時期でも涼しそうだ。
こちらがナッ祠。
部屋は3つに分かれており、左2つには神像、右は物置だった。
左の部屋。
内部には白い衣裳を身に着け、右腕に蛇を巻き付けた老人。
真ん中の部屋。
カレン族の民俗衣裳を身に着けた男女の像。
おそらくズェガビンの兄妹神の像だろう。
本堂である仏殿は道から少し引っ込んだところにある。
ヒンドゥ教の塔門を思わせる作りだが、奥行きはなく、日本で言えば方三間の堂といったところ。
内部には仏陀の像がぽつんとひとつあるだけだった。
本堂前にあった鐘。
本堂の横には、貯水池のようなものがある。
周囲はベンチになっているが、これはいったい何なのだろう。
一瞬、プールかとも思ったが、水に出入りするための階段やハシゴなどがないのでプールではなさそう。放生池か。
同様のものは、(文中では紹介していないが、)ズェガビン山登山口のルンビニー庭園にもある。
私にとってこの寺の最大の特徴はこの放生池といってもいい。
放生池らしき場所から境内を東へ進むと、小さな樹がしげる林がある。
その林の中にはたくさんの仏像が規則的に並べられている。プールふう放生池と千体仏はセットで造営するものなのか?
誰も参詣していない。
そもそも、こうした千仏庭園に人がいるのを見たことがない。
こうした型で抜いたような同形のコンクリ仏ってどうやって作るのだろう。何箇所かこんな仏像を売っているお店を知っているので、一度作っているところを見てみたい。
仏像の顔はペイントされているが、奥のほうにいくにつれて塗りが省略されている。
一番手前の1列だけは口紅も含めて丁寧に表情が描かれていて、2列目は目と眉だけ、3列目は頭髪だけ塗られていて顔は真っ白だ。
もしかして空気遠近法を表現しているのか。
いつも思うのだが、誰も参詣しないような場所にこれだけの仏像を作るのは日本人のコスト感覚からすると考えられない。
だが、ミャンマーではこうしたものが次々に作られている。
そして、でき上がった瞬間から廃虚っぽい雰囲気になるのが、千仏庭園の特徴である。
隣には僧院があった。
本坊なのかも知れない。
講堂と思われる建物。
仏塔を建てるための寄進を募っているようだ。
仏塔が建つのはおそらくこの道の突き当りだろう。
本坊から東の山並みを見ると、崖の上にも仏塔が建っていた。
この深く切れ込んだ谷がラインカァ峠である。
どうやってあんなところに仏塔を建てたんだろう。
たぶん登山道はない。
本坊の入り口に戻った。
パアンの周辺には、下写真のように巨樹が道路を覆ってトンネルのようになっている場所がところどころにある。その樹のスケールは写真ではなかなか伝わりにくい。一瞬、人間や車がミニチュアになったような錯覚を覚える。
この樹の下には共同の井戸と、峠道を行く人を目当ての駄菓子屋兼ガソリンスタンドがある。
共同井戸。
夕方の水浴びをする女たち。洗濯もしている。文字通り井戸端会議をする場所なのだ。
寺の門前の駄菓子屋。
仕事がない若い女の子たちのたまり場にもなっているようだ。右手にある青い箱はクーラーボックスで、中には氷が入っていてジュースを冷やしてある。
たいてい、街道筋の駄菓子屋にはこんなクーラーボックスが置かれているので、毎朝、この田舎まで氷を売りに来る業者があるのだろう。
ジュースを飲んで、オートバイにガソリンを入れた。
(2015年04月30日訪問)